ビルマ潜入紀行 ~東南アジア最後の軍事独裁国家からの報告~(27)
※お断り ミャンマー(ビルマ)入国取材の安全を期して、宇田有三氏は「大場玲次」のペーネ ームを使用していましたが、民主化の進展に伴い危険がなくなりましたので、APN内の記事の署 名を「宇田有三」に統一します。
【タクシーの運転手に見せてもらった帳面。政府から割り当てられたガソリンを購入する度に押されるスタンプ】
ビルマ(ミャンマー)第2の都市マンダレーの喫茶店で2007年8月末、4ヶ月ぶりに友人と再会する。
ちょうどその前の週、マンダレーから南へ約690kmの旧首都ラングーン(ヤンゴン)では、突然の燃料費の値上げをきっかけに抗議デモが起こっていた。
デモの担い手となったのは、この1年の間、ラングーン市内で活発に民主化活動を続けていた「88年世代グループ」であった。
しかしそのデモの参加者は、ビルマ軍事政権(SPDC=国家平和発展評議会)によって、即座に逮捕・拘留されてしまった。
「ヤンゴンのデモ、もしかしてマンダレーまで来るかなあ」
友人との話の内容は、もっぱらその値上げの抗議デモのことに集中していた。
「いやぁ、来ないでしょう。ここマンダレーでは抗議デモは起こることは考えにくいですね。回りを見てごらんなさい、何か起こりそうな、そんな雰囲気ってこれっぽっちもないでしょう」
確かにその通りである。
道行く人の様子を観察しても、喫茶店や市場も何ら変わりはなく平穏だ。
マンダレー王宮の周辺も、緊張感は全くない。
私の身近で、今回の値上げで不平不満を口にする地元の人も、デモを起こそうという人はいない。
友人は続ける。
「それにですね、本来ならデモの担い手になる学生たちに対して、当局から注意や警告が来ているそうだよ。もしデモを起こすようなら大学を閉鎖する」と。
その警告は、単なる脅してではないだろう。
実際、1996年から97年にかけて、ラングーンで起こった学生による抗議デモや集会を抑え込むため、SPDCは2年間も大学を閉鎖していた。
この間、ラングーンでは、卒業できない学生や入学できない学生が大量に出たのだ。
軍事政権によるこういう強権的なやり方は、大学生本人ばかりでなく、教育を受けさせることよって就職口を確保しようとする親たちの期待を打ち砕くものでもあった。
また、僧侶の動きを警戒してか、マンダレーのサンガ(僧侶組織)に当局から「政治には関わらないように」という通達が届いていた。
~つづく~
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