北倉(プクチャン)18号管理所出所者の証言 6
「18号管理所」での生活(承前)
◆封建的な住民行政制度
「管理所」の中では、結婚も自由にできない。
「解除民」の私には、愛する女性がいた。彼女は「移住民」であった。
私たちの結婚には、制度的障害が立ちふさがっていた。
「管理所」の住民構成には「移住民」「解除民」「隊内民」などいくつかの部類がある。
初めて連れてこられた人々は全員「移住民」である。革命化対象である本人はもちろん、その家族もこれに属する。
家族全員がちゃんと仕事をすれば革命化対象から「解除」される。しかし、三〇年経っても「解除」されない人々も少なくなかった。
「隊内民」とは、「管理所」内で「移住民」と「解除民」の監視および、警備歩哨任務をする警備隊の軍人、党秘書、鉱山長など、権力の下にいる人々とその家族を指す。
「18号管理所」の「隊内民」は、ほとんどが咸鏡道の「ソルラ」(注1)たちだった。「18号管理所」の一部が咸鏡南道徳成郡にあった時、党はその道出身の除隊軍人たちを「管理所」に無理やり配置したのだ。
「18号管理所」は、主として平安道の幹部たちを「革命化」することを任務とする。その警備を、平安道と感情的に対立している咸鏡道の人々にさせることで、一石二鳥の統制効果を生み出しているのだ。
それで、「18号管理所」の「隊内民」は、みな「ソルラ」、騒々しい北の地方の方言を使う。
※「分裂させて統治しろ」という植民地主義者の手法に習い、平安道と咸鏡道の地域対立を党が巧みに利用したものだと言える。
恋人と結婚すれば私は「解除民」から「移住民」に〈バック〉しなければならなかった。
一般社会でも農村の女性と結婚した都市男性は農村に行かなければならないが、統制区域でも通常社会と同様の身分制度が適用されている。こんなところまで同じなのは驚きである。
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