記者シム・ウィチョンが二〇〇六年九月南新義州(シニジュ)に住む五〇代後半の女性に取材した事件の話である。女性は新義州から平城(ピョンソン)に中国食品を運ぶ商売を手広くやっている。
金日成、金正日への絶対的忠誠を強要される社会である北朝鮮では、その肖像画までが崇拝の対象とされる。
シム・ウィチョン:それは重大な政治的事件ですね。
女性:そうでしょう。私もこりゃ大変なことだなと思いましたよ。
それは二〇〇一年だったか、二〇〇二年だったか。
将軍様(金正日)は楽園(ラグウォン)(注1)によくいらっしゃいます。
楽園機械工場には日用分工場(注2)があります。その工場は軍需なんですが、本来は爆弾を作るんです。
工場に繋がっている構内鉄道があって、その線路に沿って入っていくと大きな油絵があります。
朝鮮戦争が終わって首領様(金日成)が最初に訪れたのが楽園機械工場でした。
なぜ来たのかと言えば、鉄があってこそ共和国建設が可能になるからだ、と首領様は(その時)おっしゃいました。鉄があるから学校も家も建てられる、と。
シム:そうでしょう。焼け跡ばかりなんだから早く建設しようとしたわけだ。
女性:一〇名の党員が首領様をお迎えして細胞会議(注3)を行いました。それが有名な「一〇名党員」です。
その中の一人がシン・ポヒャンという女性党員でした。その女性が立ち上がって「首領様、ご心配なさらないでください。私たちが命をかけて、溶けた鉄を一年がかりで固めるのをひと月でやって鉄を生産いたします」と言ったんです。
その時の首領様を交えて会議する様子が大きな油絵に描かれていたんですよ。
それが、なんと、本当にあっという間に、ぱっと燃えてしまったんですよ。誰も知らない間に! 二〇〇一年だったか二〇〇二年だったかしら。
シム:それは大変なことになりましたね。
女性:その油絵が平壌(ピョンヤン)から運ばれて来てからというもの、工場に入るとまず、その一〇名の党員が首領様にお供している絵が目に入るんです。
そこにはいつも、ものものしくたくさんの保衛員(情報機関員)が張り付いていたんですよ。
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