そして残りは特権層の贅沢と不正蓄財に流れた。
このように、党の外貨調達ビジネスは、朝鮮社会では計画経済の枠外のものと分類されるようになった。
それが国家管理から外れているためであるのは当然として、さらに、労働力や国家の資源を横領的に動員して、工場、企業所、機関の日常の稼働を大いに妨げ、農民市場を制限する国家のルールまでもデタラメにしたからであった。
再度言えば、この外貨調達は「党中央」だけの特権であったため、計画経済とは無関係とされたのである。
(つづく)
注1 二〇〇二年以前まで朝鮮の「社会主義制度」では、国家のほとんどすべての資源は「全人民的所有」と抽象化され、個人所有は原則的に認められなかった。
現在の「われわれ式社会主義」では、制限的ではあるが個人所有を認める形態に若干変わっている。
したがって七〇年代に外貨調達ビジネスが国家計画外で収益を得るためには、国家の資源を農民市場に流入させるプロセスが必要だった。
松茸の場合、その採集に労働力が動員されたのは、まさに「全人民的資源」である労働力が、国家から抜け出していくプロセスだった。
採集された松茸が買入所で優待物資と交換される空間は、農民市場のまた一つの形態に過ぎないが、これは、労働力が投下された産物が市場に入るプロセスであった。
次に、その松茸が輸出されて外貨に変わるプロセスは、「全人民的資源」=国家の資源が、市場から外貨調達ビジネスに移動することが完結するプロセスだ。
このように国家の資源が巧妙に「党中央」の資産に転換される一方通行の資源流失が不断に進んだ。