07年「市場抑制」はいったい何を意味するのか 4 リュウ・ギョンウォン
八〇年代以降 外貨調達の肥大と計画経済の破綻
一九八〇年代に入り、社会主義国家陣営に改革開放の風が吹き、従来の社会主義市場は大いに変質した。
以前の社会主義陣営における朝鮮は「社会主義の東方防人」「米国と三八度線を境に対峙した冷戦の最前線」として価値があった。その政治軍事的な対価として、朝鮮は社会主義陣営からの経済的特恵を享受した。
この「南北分断の恩恵」によって、朝鮮では時代錯誤の独裁的首領世襲制が構築され、計画経済と農民市場に寄生する「党中央」の独占的外貨調達ビジネスが繁盛していった。
そうするうちに、国際的に冷戦が解凍され、対話と協力の時代が到来し、社会主義市場の実態が崩れ始めた。すると、朝鮮の計画経済の収入は大幅に減少し衰弱は加速し始めた。
国内外の新しい経済環境は、各特権機関にも外貨調達ビジネスをしなければ運営が難しいというショックを与えた。
「上流の水が澄んでこそ下流も澄む」という朝鮮のことわざがあるように、「党中央」が計画経済を侵害して唯一贅沢を享受していたのを見て、軍部や社労青(社会主義労働青年同盟、現在の『金日成主義青年同盟』の以前の名称)をはじめとする特権機関は、われもわれもと大義名分(特に大規模建設事業)を掲げて外貨調達に参入し始めた。
軍部の代表的名分は西海閘門、水力発電所建設であった。社労青は北部鉄道工事と第一三次世界青年学生祝典開催だった。
外貨調達のために、全国数百万の一〇代の子供たちにまで、くず銅、毛皮、あんずの種などの収集ノルマが強制的に割り当てられた。
主席府、護衛局(注1)、保衛部(情報機関)、安全部(現保安省、警察)のような特権機関も、先を争って外貨商店と外貨調達品の買取所を整えて商売を始めた。
国家計画経済システムの管轄する財産が、裏で外貨調達ビジネスに大量に流出していった。少年が組織に捧げるノルマの銅は、家庭に製錬工場があって生産されたものではなく、国営工場から決死の覚悟で泥棒してきた品であった。
主体思想宣伝のために、主体思想国際討論会を開催するからと(一回にかかる費用は約三〇万ドルと言われた)、主体科学院(世界に主体思想を宣伝する専門機関)のようなところまで、傘下に貿易会社をおいて自ら外貨調達をした。
事態がこれほどまでになると、国家の計画経済は破産に瀕し始めた。
「国の生命線」に指定され、最後に残った資産をすっかり注ぎ込んで「国家最重要建設対象」として推し進められた順川(スンチョン)ビナロン連合企業所と沙里院(サリウォン)カリ肥料工場(注2)の建設と操業は、無残な失敗に終わった。基礎的な生産工程の研究すらできていないのに、無理して工場を建設したからだった。
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