かれらは兼任事務官という立場で、資源の調査や統制運用計画すなわち総動員計画の策定に主導的な力を振るった。
さらに資源局参与として陸軍軍務局長の阿部信行中将、同整備局長の松木直亮少将、海軍軍務局長の左近司政三少将らが影響力を及ぼした。
資源局の業務は秘密性の高いものだった。内閣恩賜局から資源局に移ってきた文官の内田源兵衛は、当時を次のように回想している。

「やたらに秘密が多いんです。たとえば総動員計画なんか担当事務官でさえ、書類を家に持って帰れない。ひと口に計画といっても、半ば永久不変の根本方針にあたる基本計画と、以後何か年の間に開戦したら適用するという期間計画の二本立てになっているんです。

基本計画関係の関係書類は表紙が赤、期間計画の方はピンクで、わたしたちは通常『赤本』というように呼んでいましたが、それというのも、絶対に外部へ持ち出してはならぬという意味で色をはっきりさせていたのだと思います。各人に渡すにしても、すべてナンバーがふってありましたからね、いいかげんな取り扱いはできないわけです」(『昭和史の天皇』16 読売新聞社編 読売新聞社 1971年 153頁)

『国家総動員史』上巻によると、「国家総動員計画」に関する閣議決定などの重要資料は極秘扱いで、資源局の幹部と各省庁からの参与や兼任事務官以外には、政界・官界の上層部の人間に対しても、その存在を完全に秘匿されていたのである。 ~つづく~
(文中敬称略)

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