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【路上の食堂には、色とりどりのおかずが並ぶ。こういう光景を見て「食うに困っている」という軍政を非難するビルマ報道の信憑性に、単純に疑いを持つ人がいる】
とくに「ディペイン事件」は、ASWAN外相会議の1週間前というタイミングだった。
この事件は、地方遊説に出ていたスーチー氏を含むNLD党員約250人が、軍政の翼賛団体である連邦団結発展協会(USDA)員約3000~5000人に襲撃された事件である。

未確認ながら、NLD側に70名の死者が出たという。
しかし、この事件は公式に報告されることなく、結局うやむやにされてしまった。
当時、さすがにアセアン外相会議でも問題とされた。

ディペイン事件に関しての私の推測は、おそらくSPDCはパニックに陥ったのだろうと考えている。
SPDCはこれまで、民主化運動の起因となる学生を抑えるために、大学をラングーン郊外の交通の不便な所に移す措置をとった。
これで街中に学生が少なくなった。

さらにNLDへの締め付けをいままで以上に厳しくし、その時々の首都ラングーンを完全に掌握していたのである。
ラングーンを抑えておけば、ビルマ全土は政治的に安泰だと。

だが、アウンサンスーチー氏が地方に出ると、どこに行っても数千人規模の支持者が集まってくる。
外国の在留公館や外国人の多いラングーンと違って、監視網の厳しい地方都市では政治に関わるのは極めて難しい。
それなのに民主化運動を支持する人が集まってきたのである。

これは一体、どうしたことだ、とSPDCは思ったに違いない。
ラングーンを抑えていても、生活の苦しくなった人の抗議デモは、それが地方であっても抑えることはできない、その証拠であった。
つづく

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