ogura_C厳重な警戒態勢のなかで開かれた制憲議会初日
4月10日に行われたネパールで初めての制憲議会選挙から、すでに一月半余りたっていた。マオイストの圧勝という形で終わった選挙については、前回のレポートに記したが、国民が寄せる次の興味は、「制憲議会の初日に、本当に共和制に移行するのか」ということに絞られた。

和平プロセスを推進してきたマオイストと主要6政党は、制憲議会の初日に正式に王制を廃止して、共和制へ移行することを決め、これを暫定憲法に明記していた。

しかし、ギャネンドラ国王をはじめとする王室だけでなく、ネパール軍の内部などに、共和制への移行に反対する勢力がまだ存在し、彼らが何らかの形で事を起こすのではないかという疑問が残っていた。

最初の制憲議会の会議が開かれる5月28日が近づくにつれて、カトマンズではさまざまな噂が広まっていた。「マオイストがカトマンズに大勢の人民解放軍メンバーを集結させており、28日当日、ナラヤンヒティ王宮を包囲する計画である」、「ネパール軍がすでに王宮内に動員されており、マオイストとのあいだで大きな衝突が起こる可能性がある」など。

こうした噂だけでなく、28日には、制憲議会に共和制実施の圧力をかける目的で、市民グループや政党が会議場となるナヤバネスワールの国際会議場前で座り込みをすることを宣言していたこともあり、政府は王宮周辺と国際会議場周辺を「デモ・集会禁止域」に指定。大勢の武装警察官や警官を動員して、厳重な警戒態勢を敷く方針をとった。

制憲議会は午前11時に始まる予定だった。私は、歴史的な議会をプレス席の最前列で見るために、席を確保するために午前9時前に家を出た。しかし、国際会議場には向かわず、まず、王宮周辺の様子を見ようと、王宮前広場に行った。前日、ナラヤンヒティ王宮にネパール軍特殊部隊の装甲車が配置されたというニュースを聞いたが、28日朝の王宮周辺はきわめて平常な様子だった。

王宮前広場から国際会議場に向かうと、武装警察隊が入り口付近を封鎖し、南側の道路に市民や政党活動家のデモ隊が集まっていた。会議場には国会秘書室から出された招待状のある人だけが入ることを許可されている。門から敷地内に入るときに、2度のチェックを受けた。会議場に入るときに、さらに2度のチェックがある。中に入ると、すでに知り合いのネパール人の日刊紙記者2人が席についていた。私は3番目だった。

これまでの国会議事堂は、601人という制憲議会議員を収容する広さがないため、制憲議会のために、特別に、国際会議場に議会が設置されたのだが、記者席などの見学者席は2階のバルコニーに設置されたため、後ろの席からは議員の様子がまったく見えない。そのため私は何としても最前列の席に座ろうと思っていた。
つづく~
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