小倉清子のカトマンズジャーナル~ロルパを思い出して
内戦中、ロルパを歩いているときに、最もひんぱんに滞在したのが、この家がある村である。
東側の山の斜面に広がる村の風景は、ロルパのなかでも有数の美しさである。何度も訪れるうちに、ここに住む人たちの人間模様が少しずつわかってきた。
内戦中でもあり、一番、力を誇っていたのは、もちろんマオイストだったが、マオイストに対する普通の村人の心情は、ちょっと見ただけでは理解できないほどに複雑であることが、何度も訪ねるうちにわかってきた。
マオイストに半年間、誘拐された経験をもつ村人は、たびたびインドに出稼ぎに行っていたが、なぜか、私が行くと必ず家にいた。彼の家でよく、お茶をいただきながら、愚痴を聞いたものだ。
しかし、その愚痴のなかに、マオイストに対する本心がちらちらと垣間見え、村に住む困難さを感じたものである。
ロルパでは、“バザール”と呼ばれる集落には、たいてい旅人に食事を作ってくれる“ホテル”があり、私もよく利用したものだ。
ベッドをいくつも置いた部屋があり、食事代を払うと、無料でそこに泊まることができる。もっとも、あくまでもネパール人の旅人を相手にしているので、ベッドにはダニがいたり、トイレもなかったりする。
こうした“ホテル”がない村にも何度も泊まった。ニワトリ小屋のベッドに“仮眠’をしたときには、朝2時ごろからニワトリが鳴きだして、まったく眠れなかったことを思い出す。
マオイストと行動を共にしたときには、ほとんどの村にある“ポスト”に泊まった。ダサイン祭のときにウワ村のポストに泊まったときには、彼らに「私はベジタリアンである」と言っていたにもかかわらず、気を利かして、ご馳走に鶏肉のタルカリを作ってきてくれた。
鶏肉は肉ではなく、ベジタリアンは鶏肉は食べると思ったらしかった。今でも、大変、申し訳ないことをしたと思っている。
昨年、ロルパのジェルバン村に行ったときには、やはり彼らのポストに泊めてもらった。ちょうど、トウモロコシの季節で、毎日、かまどで何本もトウモロコシを焼いてもらって食べた。
ロルパでは、トウモロコシはお金を払って買うものではなく、どこでも頼めばただでくれる食べ物である。形は良くないが、白く大粒の実がついたロルパのトウモロコシが、また懐かしくなった。