私が初めてアフリカの地を踏んだのは95年のこと。まだ大学生であった。想像もつかぬ風景を想像しながら待つ母に向けて、私は月に一度、FAXを送っていた。国際電話はあまりに高価すぎたし、郵便事情があまり信用できなかったからだ。びっしりと書き込んだA4ノートの1ページを、母の顔を想いながら送信していた。
01年に再びこの地を踏んだ。半砂漠の景色が続く西サハラで、少年から「コンピュータの住所を教えて」と言われた。メール、である。
もちろん一家に一台というわけにはいかないが、ガソリンスタンドがあるぐらいの規模の町にはたいてい、インターネットカフェを見つけることができる。笑いながらメールを読んでいたり、ディスプレイにぐっと顔をよせてニュースサイトを見ているような光景は、アフリカ諸国においても、今や珍しいものではなくなっていた。
一般的に回線速度は遅く、ディスプレイを前に数分じっと待たなければならない。回線が不通のため臨時休業となることもしばしば。ま、いらいらしたところでしょうがない。別の店に行ったところで状況は同じ。外に出てバナナでも食べながら、復旧を待つ。
写真は、トーゴの首都ロメにあるインターネットカフェの女性店主。ここでも回線が不通となることが多かった。「午後には直っていると思うから、また後で来て」との言葉を信じて再訪すると、確かに復旧している。
彼女が回線を直すわけでもなく、午後の復旧に根拠は無さそうなのだが、彼女の復旧見込みは常にかなり正確だった。「勘所」もインターネットカフェ経営の大事な要素なのかもしれない。
急を要する原稿を送りたくも回線が不通だったときには、紙に書き直した原稿をその場で彼女が自宅に持ち帰り、FAXで送信してくれたこともあった。アフリカでの、困った人を放っておかない精神には、いつも痛み入る。
なにか不具合があるたびにパソコン本体をばらしたり、ソフトウェアは無料と思っていたりとまだまだ不安な部分が多いが、遠い彼の地を結ぶ線が増えたことは、とっても望ましい。
ちなみに母はメールができないため、現地から実家へのやりとりは今もFAXだ。