揺れるカシミール 廣瀬和司の緊急現場報告/2008/08/29
だいぶ日が過ぎたので、今日はけっこう外出許可が緩和されるのでは、と期待していると「今日は金曜日だから、逆にもっと厳しくなる」と宿の主人に言われ、落胆する。金曜日はイスラーム教徒にとっては安息日で、午後の礼拝の後にデモが起こることが多いからだ。
しかし、これでは奴隷と同じだ、と普段カシミールの人びとが口にしていることが、思わず私の口からも出てきてしまう。学生は学校に行けないし、主婦は買い物に行けず、商売人はビジネスが成り立たない。病気になっても医者に掛かれず、病人には薬が届かない。移動の自由、報道の自由、集会の自由が奪われている。こんなことが日本で起きたら、間違いなく内閣は潰れるだろう。
夕方5時前に、6時半までの外出許可が突然出される。近くの大きなバザールまで歩き、そこでオートリキシャを捕まえて、ラル・チョークまで行ってみることにする。外出禁止令について運転手に聞くと「こんなことは全く解決にならない。インド政府は話し合いをすべきなんだ。どっちにせよ僕らは独立しか選ばないけどね」とやはり独立については断言する。
300m走っただけで、50ルピー請求される。いつもの倍以上だ。文句を言うと「地元の人間も払ってる」と同乗していたカシミール人を指差す。彼も仕方がない、という感じで苦笑する。揉めている時間ももったいないので、支払うことにする。
ラル・チョークは話しに聞いていたとおり、バリケードで完全に封鎖されていた。集会は月曜日だったはずで、もういいだろう、という気になる。店も薬局ぐらいしか開いていない。
その先にあるJKKFの議長であるヤシン・マリク( 既に逮捕)が住み、住民の抵抗が激しいので有名なマイスマ地区を覗いてみるが、兵士や警察でいっぱいだった。
雷がなり、雲行きが怪しくなってきたので、早々に宿に帰った。