リムジンガン記者のリ・ジュン(李準)は、2004年以来、機会があるたびに北朝鮮の地方を回ってビデオ取材をしてきた。
彼はこれまで、平安南道、平壌、咸鏡南北道の撮影した経験があるので、一度「未知」の平安北道地域の撮影を提案してみてはどうかと編集部は提案した。平安北道は中国と隣接しているのだが、写真や映像で紹介されたことがほとんどないのである。
リ・ジュンは、それに応えて、軍需産業が集中しているのに、名勝地が多くて接近がさほど困難でない朔州を選んで、二度にわたり映像取材を敢行した。2006年夏と2007年夏である。
リ・ジュンの取材に合わせ、私たちアジアプレスの取材班も、2007年夏に鴨緑江を挟んだ中国側から朔州を取材することにした。
今回の映像報告では、北朝鮮の中と外から見た朔州を紹介しようと思う。
[解説]辺境の軍需産業都市は寂獏としていた リ・ジュン
鴨緑江を河口から上流に遡って行くと、龍川(リョンチョン)郡、新義州(シニジュ)市、義州(ウィジュ)郡を経て朔州郡に至る。
平安北道北部に位置するこの朔州郡は、東は昌城(チャンソン)郡、西は義州郡、南は天摩(チョンマ)郡と大館(デグワン)郡に接しており、北は鴨緑江を境にして、中国に面している。
高麗時代から辺境の要塞として有名だった朔州には、一九四〇年代に当時、東洋最大の水力発電所となる、水豊発電所(一〇万キロワットの地下発電所まで合わせ、総設置発電量は八〇万キロワット)が建設された。
山あいの郡である朔州は朔州温泉とミネラルウオーターで名高く、景勝地である水豊湖がある。
朝鮮では、朔州郡といえば皆が思い浮かべるあるイメージがある。
金正日が後継者になった直後の一九八五年、朝鮮労働党中央委員会機関理論誌「勤労者」第三号に、金正日の大学卒業論文「社会主義建設における郡の位置と役割」が初めて掲載された。
「徳性実記」(注1)によると、この論文を書くために、一九六〇年代のはじめ、金正日は昌城別荘(注2)に隣接するここ朔州で郡の事業についての実習を行ったというのだ。
次のページへ ...