北倉(プクチャン)18号管理所出所者の証言 11
「第18号管理所」事件
醜い勢力争いが止むことのない朝鮮では、まともな人間が一夜のうちに逆賊に仕立て上げられたり、忠臣になったりする。政局は不安定になり、連日のように政治事件が起こる。
「18号管理所」は社会安全部の傘下の「管理所」であるが、中央党組織の指導部や国家保衛部など、政治事件を直接扱う機関の人間たちの「革命化」を図ることを最優先とする特別な機関である。したがって、所内ではしょっちゅう誰かを銃殺する銃声が鳴り響いていた。
二〇〇一年、「18号管理所」で異変が起きた。中央党の検閲が入り、「管理所」の幹部たちが次々と拘束されていったのである。
「管理所」長、「教養所」長が拘束され、懲役七年を求刑されたかと思うと、安全部長が自殺し、多数の「管理所」幹部と職員が「教養所」に送られるなど、通常では考えられない事態が私たちの目の前で起こった。
◆事件の発端「申訴事件」
この事件の発端は一九九〇年代初頭にまでさかのぼる。われわれが入所する少し前、「18号管理所」に、ある保衛部の事件に巻きこまれた19部の安全部長や高麗ホテルの支配人、烽火総局(注1)長など中央幹部らが集団で収容されて来た。
19部とは、平壌市の一区域の安全部くらいの規模だが、高麗ホテルなどの中央級ホテルやレストランなどの給養奉仕(サービス)機関とその従業員達を担当する警察機関だ。
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