一方、この事件を起こしたXや国家保衛部の奴らはシラを切りとおした。「管理所」の幹部すなわち、下の者たちが責任をなすりつけられ、上の者たちの代わりに処罰を受けた。
実際には、「管理所」の所長や教養所長が保衛部の人間に向かって「革命化」で収容されて来た幹部達の銃殺についてとやかくいう権限はなかった。いや、より正確に言うと、「一号申訴者」たちを「革命化」させるという「方針」を受けたのも、「管理所」へ送りこんだのも、死刑の審判を下したのも、執行したのも、全て国家保衛部である。だから国家保衛部とその幹部が今回の件について責任を取るべきだった。

しかし、罪もない人を多数殺害したというかどで、保安省傘下の「18号管理所」長や教養所長が七年の教化処分を食らっただけだというのである。いったい誰が犯した罪だというのか?! これもやはり裁判制度と関連した重要な問題なのではないかと私は思う。
私は不思議に思って「隊内民」に聞いた。

「どうしてそんな決定を受け入れたんだ? 教養所長が銃殺したっていうのか?」
「いや、横で見張りをしたりしてただけだよ。」
中央党検閲チームの判断は次のようなものだったという。

「君達はなぜ何も言わなかったのか? いかなる場合も『党の唯一思想体系の一〇大原則』に合致しているかどうか確かめて、合致しなければ闘わなければいけないではないか。『管理所』の幹部は盲従することによって『党の唯一思想体系の一〇大原則』に違反した。中央の人間が来たからといって闇雲に盲従してはいけないではないか」
将軍様の「方針」を受け、それを執行するために来た人間に対して抵抗できる人間が、果たして朝鮮に存在するだろうか。盲従したことを罪とするような原則を、いったい誰が守れるというのか。そして、その責任は誰が取るというのか。

納得のいかない結末ではあったが、「管理所」の「移住民」や「解除民」(注2)は、平壌に戻る高麗ホテルの支配人の家族や烽火総局長の家族、19部安全部長の子供たちの姿を見ながら、自分の事のように喜んだ。

また大なり小なり自分達を苦しめていた「管理所」の幹部たちが根こそぎ教養所へ移されて行くのを見ながら口々にこういった。
「世の中、何だかんだいっても不公正な事は結局は正されるもんだなあ。あの人たちは永遠に葬られてしまったと思っていたのに、最後にはこうして助かったじゃないか。いやあ、まったく良かった」
ところで、こうして社会復帰した人たちは幸せになっただろうか?
社会復帰できたのは間違いないが、今のご時勢、平壌だろうが、「管理所」だろうが、全てお金がものを言う世の中だから、みんな生活に追われているらしい。時折彼らの様子が「管理所」にも伝わってくるが、生活は苦しいということだ。
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