大村一朗のテヘランの風 ラマザーン月・平和なイランから(08/09/18)
【ラマザーン月の間、ほとんどのファーストフード店が夕方になると売り出す特別料理、アーシュ・レシテ。野菜、ハーブ、豆類、うどんを大鍋でどろどろに煮込んだスープ。おいしい店にはいつも行列が出来る。日中に営業ができない飲食店だが、こうした特別料理によって、ラマザーン月でも十分採算が取れているという】(テヘランで/撮影:大村一朗)
アフガニスタン、パキスタンではタリバンの活動が活発化し、それを鎮圧する政府軍、外国軍との戦いで、連日、罪の無い一般市民が巻き添えになっている。
ラマザーン月が始まって早半月。平和なテヘランにいると、この神聖な、祝福に満ちた月に、なぜ同じイスラム社会で無益な殺生が繰り返されているのか、首を傾げたくなる。
「イスラム教徒が戦争をしてはならないのはモハッラム月だけで、ラマザーン月は戦争すること自体は問題ない。彼らは自分がしていることをジハードだと信じて込んでいるから、ラマザーン月だろうと関係ないのだろう」
私の問いに、あるイラン人はそう言った。
イスラムではジハードを、断食や礼拝や寄付と並んで10ある宗教的義務の一つとしている。こうした宗教的義務を果たすことが普段にも増して推奨されるランマザーン月に、それをジハードと信じて疑わないテロリストたちが、胸を張って自分の任務を果たしているのは想像に難くない。
神の満足を得るための行為が、同じ宗教でも環境が違えばこうも異なるものかと、テヘランのラマザーン月の幸せな夕暮れ時を眺めながら、ふと思う。
礼拝の時を告げる日没のアザーンがモスクから流れると、それを合図に長かった一日の断食が明け、町は急に息を吹き返したように賑わい出す。
道路わきにバイクを停めてタバコを取り出し、深々と一服 する人、かばんから菓子パンやバナナをおもむろに取り出し、かぶりつく女性たち。モスクに飛び込めば、一日の断食をねぎらうための、甘いナツメヤシの実とシロップ付けのお菓子、チャイなどが無料で振舞われる。日中閉まっていた飲食店も一斉に店を開ける。
ラマザーン月が、断食を行なう苦難の月というより、大変おめでたい月とされているのは、この月に神から預言者ムハンマドにコーランが下されたからだ。
この祝福に満ちた月に行なう善行は、来世で何倍にもなって、神からの報酬として帰ってくる。したがって、この一ヶ月間は善行が奨励され、寄付や、ナズリーと呼ばれる施しが積極的に行なわれる。普段礼拝を行なわない人も、一日5回きちんと礼拝をしたりする。
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