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【怪我を見せるCRPF将校】(撮影:広瀬和司)

また、イスラム教徒の友人たちも、時代の流れの中で彼らを守りきれなかった。10万から15万とも言われるパンディットたちが南のジャムーや州外へと脱出していった。

将校が唱えるパキスタン陰謀説には、同じカシミール人でありながら故郷を追われなければならなかった、理不尽さへの怒りの裏返しだった。

しかし、その前にイスラム教徒の側からも違う陰謀説を聞いていた。ナワタ地区で青年の一人が死んだ葬儀のとき知り合った25才の青年と、9月11日に2001年のニューヨークの貿易センターの崩壊について話していたことだった。

彼によると「あの事件はアフガニスタンを空爆するきっかけをつくるための陰謀なんだ。飛行機が突っ込んだくらいで、あのビルが完全に崩壊するわけがない。証拠もあるよ。雑誌でそのことを検証する記事を読んだ」と言う。

両者に共通するのはマイノリティゆえの被害者意識と、理不尽さを押し付けられる怒りだ。それが自分たちに都合の良い陰謀説を作り上げていく。
私はこの2人からの話を聞いて、東京外大大学院教授の酒井啓子さんの言葉を思い出した。「理不尽な死の恨みをぶつけあうことから抜け出すには、理不尽な死をもたらした政策の問題を正確に見抜くことしか、解決はない」。

カシミールについては政策の問題は、はっきりしている。あとは、それを世界に向けてどれだけ冷静に訴え、聞き届けてもらえるかである。

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