経済についての自由な研究討論の場を!
石丸次郎:中国とは違い、朝鮮の未来は民主化なしには成功を期待しにくいのではないか?
ケ:現代は情報化時代だ。もう一度私は主張したい。一日も早く私たちに自由な研究討論の場が、少なくとも経済部門にだけでも生まれなければならない。
中国は、経済研究の自由が許された後に改革が成功した。私たち朝鮮は、皆が無知蒙昧な中で、時代が、社会が、そして、外の国がどこに向って行っているのか分からないまま彷徨っているのだ。
これを立て直すには、まず対外関係をよく知り、外交政策を改めなければならない。そのためには、何より幹部たちとインテリたちから、自由に研究討論を始めなければならない。ところが、保守的な執権層は「引きしめろ」という号令ばかりを機械的に出している。今、この瞬間にも幹部たちの思想武装ばかりを要求して、首輪をぎゅうぎゅう締め上げている。今までも常にあった朝鮮の常套的な思想的な事前準備の手法だ。
朝鮮は新しい経済特区の設置だとか、対外関係の一定の変化が起こりそうだと、必ずこのような事前準備を行ってきた。新しい経済や文化の変化に伴う恩恵を、執権層ら既得権を持つ者たちだけが、独占的な利潤に与れるようにするためだ。小集団の利己主義な、ファッショ的な政治の産物だ。
そして、彼らはこれを通じて得た利潤を投資して、人民大衆を豊かにしようなどとは考えない。富はすべて土の中深くに隠すか、外国に預金してしまうのだ。
幹部たちが「主体思想」で武装さえすれば経済管理が改善されるわけではないのは自明だ。もし幹部たちに対する思想教化が成功したと思うのなら、幹部たちの思想の健全さを信じて、外国の先進的な経済情報と経済知識に接することができるようにしてやればいい。
朝鮮の経済を発展させるためには、自由に研究討論できるようにならなければ。そうできないならば、結局、思想教化は幹部たちに対する統制手段以外の何でもなかったか、あるいは国家が最初から私たち幹部を信じるつもりがなかったのか、どちらかだということだ。幹部を信頼しない国家を、幹部たちが骨身を削って守り通そうとするわけがないではないか。
これからは、国家ができないなら外国の支援を受けてでも、研究討論の場を少しでも早く作ってほしいものだ。これが一番の愛国の道だ。
リュウ:まさに朝鮮の悪政が、言論の自由を必要とする時代を迎えたということだと思う。
ケ:そんな研究討論の場が整ったら、すでに自然発生的に改革開放の芽が出ている現実を、まず記録し発表して討論してほしいものだ。
政府は今、反改革開放を宣伝しているが、経済の現実は、そんな宣伝とは無関係に「ジャンマダンの法則性」によって進んでいる。開放改革という公式的発表がないと言っても、密輸まで含めた国際交流はそれなりに進行しているし、営業上の利潤(注1)を誰も否定することができなくなっている。「改革的」現実は下から上に向かって展開しているのだ。
経済的な方法を否定して、政治的な方法によって生産運動を展開してきたこれまでの考え方や処理方式が、九〇年代を通じて完全に崩壊した。
党や社会団体などの組織の基盤を守っていた、政権に忠実な「核心階級」と呼ばれた人たちは、九〇年代の最後まで社会主義の赤旗を守っていたが、結局、彼らに与えられたものはといえば「市場への遅刻」(注2)のレッテルだけだったではないか。
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