「灼熱の」というほどではないものの、トーゴは暑い。30度弱の気温が日々続く。外で動いていると喉を潤したい気持ちに駆られてくるのは、私もトーゴ人も同じ。
外出時にコーラやビールなどのビン飲料にありつくことは容易だが、多くの人々にとってはちょっと高価な価格設定だ。コーラ1本で安い食堂の1食分にあたるため、普段手にする気軽さは無い。万人の渇きを癒してくれるのは、水。そこかしこで水が売られている。
写真は、その水パック。これを大きなたらいいっぱいに詰めて頭にのせた女性や少女が、街中を練り歩いている。ほとんどの雑貨店でも購入可能。日本の自販機で売られるものと同じ感覚でありつくことができる、最も身近な飲料製品だ。包装フィルムにはどこかで聞いたような製品名が見えるが、ご愛嬌。全く別の会社である。
彼らの飲み方はこうだ。黙って硬貨を渡しパックを受け取ると、袋の角を犬歯でぐっと引きちぎる。ちぎれたビニールをペッと吹き捨て、ごくっとひと口、ふた口。喉が癒されてなお余った水は、頭からかけるか、手にとって顔を拭う。最後に残ったビニールは、そのままはらりと手から落ち道端へ。パックの残骸があちこちを舞うのはいただけないが、パックを口にくわえた様は、なかなかにかっこいい。
かつてはこのような製品としてではなく、井戸水をビニール袋に詰めてキュッと結わいたものが売られていた。私がこのパックを初めて目にしたのは01年のこと。滅菌・濾過された水にしては安すぎる気がするが、生水パックのことを思うと隔世の感がした。トーゴだけではなく、サハラ以南の多くの国々で、この水が売られている風景を目にするようになった。
水パックはあくまで、手軽さが売りの商品である。濾過された水の味が求められているわけではない。家庭や食堂など屋内で口にする水は依然、汲み置きの生水が一般的なのだが、私が食堂で席に着くと、空のコップとこのパックと、カッターやハサミを添えて供されることがたまにある。普通、食堂でこの水を常備していることはなく、誰かに買いに行かせたものだ。外国人は生水を飲まないだろうとのはからいに、しばしば胸の詰まる思いをした。
ガーナではこの袋詰めの水を、ピュアウォーターと呼んでいた。高価なペットボトルの水を標榜しての、井戸水と差別化するためのネーミングと思われ少々せつない。パック入りじゃなくても、私は飲みます。