日中戦争からアジア・太平洋戦争の期間を通じて、国家総動員法に基づき、国民徴用令、船員徴用令、学徒勤労令、女子挺身勤労令、国民勤労動員令など、国民を「人的資源」として国家総力戦に動員する勅令が次々と公布施行された。
「人的資源」とされたのは、決して日本人だけではない。戦争の長期化と労働力の不足に直面した日本政府と軍は、植民地支配下の朝鮮にも国民徴用令を適用し、強制徴用・強制連行による動員をおこなった。
中国の占領地からも中国人を強制連行した。占領した東南アジアにおいても、強制的な労務者動員をおこなった。連合軍の捕虜も強制労働に就かされた。
数多くの人びとが鉱山で、工場で、ダムや飛行場や鉄道などの建設工事で、強制労働をさせられた。暴力を伴う虐待、飢え、病気、怪我などによる死傷者も多く出た。
国家総動員の対象が日本人だけに限らないことは、すでに陸軍内の調査研究の段階から構想に含まれていた。
『全国動員計画必要ノ議』でも、具体的に研究すべき事項のひとつとして、「植民地ノ土人ニ課シ得ヘキ本国援助ノ程度殊ニ労働力物資ノ融通ニ関スル調査、計画」が挙げられている。
『国家総動員に関する意見』にも、「俘虜の使役、国外労力の利用」が説かれている。
大東亜共栄圏の大義を掲げた戦争も、その実態はアジア・太平洋地域の「人的資源及び物的資源」を支配し、統制運用するためのものだったといえる。
「人的資源」の発想が日本内外を問わず、おびただしい人びとに惨禍をもたらしたことはまちがない。 ~つづく~(文中敬称略)
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