北朝鮮の人々の敏感な反応
建国記念日の翌日の10日、鴨緑江沿いの国境都市・遼寧省の丹東市で、北朝鮮の男性二人に会った。
数日前に平安南道から親戚訪問のために中国に出て来ていたAさんは、金正日が建国記念日の行事を欠席したことを中国で知ったわけだが、その感想を興奮気味に次のように語ってくれた。
「地方でも、この日に向けて会議や行事が続き、平壌の閲兵式(軍事パレード)に参加するために体躯のいい青年たちが選抜され、行進の練習をしていた。建国60年という節目の大切な式典に、金正日将軍様が出て来なかったんだから、その理由について、国中の人間がいろいろと憶測するでしょう。重病説もあっという間に全国に広まりますよ」
平安北道から同じく数日前に中国に出て来た貿易商のBさんは、淡々とした口調ながら、露骨な表現を交えて、次のような感想を述べた。
「金日成首領様が生きているときは、暮らしは今のようにひどくなかった。将軍様のせいでこうなった。みんなそう思っている。
政治が早く変わらなくてはならないとだめだ...。
将軍様はいつ死ぬんだろう。早く死んでほしい。おおっぴらには言えないけれど、仲のいい者同士では、こんな話をするようになりました」
翌9月11日、北朝鮮内部の取材協力者に電話をかけてみた。
中朝国境地帯では、中国の携帯電話の電波が豆満江と鴨緑江を越えて北朝鮮側数キロ内にまで届く。
鴨緑江上流の恵山(ヘサン)に住む取材協力者Cさんは、電話を受けるや
「将軍様の身に何か起こったかもしれない」
と、金正日が姿を現さなかったことを私よりも先に切り出した。
次のページへ ...