そんな中で無理して実施された韓国の水害に対する食糧支援は、当時の国内の経済環境を混乱に陥れるものだった。結局、この時期から、朝鮮は小麦の輸入ができなくなった。
こうして一九八〇年代後半、東北部地域を皮切りに、共和国始まって以来の配給途絶が発生し国家の危機が訪れた。
この難局を自力で打開しようと、まず一般の人民が立ち上った。半島西部から東部に向けて食糧を運び出して闇市場で販売、流通を始めたのだ。
ところが、配給途絶から回復するための手段として、こういった動きに対抗する国家施策が執られた。先ずは、金日成国家主席の命令で、食糧の移動と市場での販売が取り締まられた。黄海道と東部地域をつなぐ東西間鉄道では、食糧の運び出し取り締まりのために厳戒体制が敷かれ、一方で、国家による強制食糧流通が始まった。
まだ国の秩序が保たれていた当時にあっても、国家がたった一万トンの食糧を西海岸から東海岸に海上輸送で運ぶのに半月以上もかかったうえ、それを持続させる力も存在していなかった。力不足の国家は、結局これを放棄し、配給途絶の拡散防止策は「歴史的」な失敗に終わった。
ここで筆者が教訓として言いたいのは、経済の問題を、首領や将軍の権威を押し出して政治思想的なやり方で解決しようとしてはいけないということである。思想が何でもかんでも決定することはできないのだ。それなのに朝鮮では、今だに政治権力に頼ろうとしているから、経済が何ひとつまともに回っていかないのである。
もうひとつ、農民がどうして食糧を盗むのかについて見解を述べておきたい。
軍糧米最優先の徴発政策は、水害の被災農民たちをパニックに追いやるのに十分である。
こういう場合、賢明な政府ならば農民との公開対話を展開し、食糧分配への展望を明快に示すことであろう。しかし、腹黒い思惑に満ちたわが政府は、すべてを秘密に付し、軍部と取り締まり機関の監視の下で穀物の収穫に取りかからせたのだ。そのため農民の胸に先行きへの不安が押し寄せ、食糧盗難へと走ることになったのだ。
■毎年恒例だった韓国からの食糧・肥料支援が今年は来ないという「知らせ」が、今回の食糧危機の一因であることは既に言及したところである。
付け加えると、当局は人民を欺いた罠に自ら落ちてはいけないということだ。
朝鮮では常に「将軍様が偉大でわが国の軍事力が強力なおかげで、南朝鮮から米や肥料を送ってくるんだ」という将軍権威論一点張りでやってきた。もっとも今では人民たちはこれをあまり信用しなくなった。
しかし側近や上層部は、権威論の線から外れると革命化の処罰を受け、家族もろとも「管理所」送りになるものだから、壊れたテープレコーダーのように、権威論のおべっかを使う。自分の仕掛けた罠に自ら掛かったというわけだ。
中国は一九七六年の改革開放から三〇年以上の時を経験するなかで、「中国には永遠の親友、永遠の敵はいない」という明哲な外交的教訓を得たという。それを考えると、韓国の大統領が誰であろうと、何を言おうと、直接会って話し合うべきであって、李明博がなったからといって「会ってやらないぞ。お前に米をくれなんて言うもんか」などという幼稚な態度をとるものではない。
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