この第1回国会の衆議院本会議で、7月2日、民主党議員の北村徳太郎が片山首相の施政方針演説への質問のなかで、次のような発言をした。
「今日、食うか食わぬかの経済危機が、切実な切迫した政治の課題であることは、もちろんでございます。しかしそれだからこそ、私どもは思想的な、また道義的な問題を高調しなければならないと思うのであります。......中略......元来、思想は時代とともに動きますが、また時代を動かすものである。今日のごとき危機感の迫る場合、政治の先頭に立つ者は、時代を動かす思想、時代に先行する思想、時代を超える思想を指し示さなければならならぬと思います」
「私どもは、軍国主義の完全敗北とともに、たとえ人間を人的資源などと考えるほどに堕落した人間観、人間性を否定するところの哲学が、軍国主義とともに完全に打ち砕かれましたことを喜ぶ者であります。(拍手)しかし、一旦汚された人間性の尊厳の回復は、単に人格の尊重が憲法に規定せられただけで実現するとは考えられないのであります。憲法精神をどこまでも理想とするとの首相の演説は、もとより当然のことでございます。
少しも異議はございません。しかしながら個人の人格の尊厳を確保するためには、個人の自由が確保されなければならないことは、これまた当然であります」
「主権在民、基本的人権と自由の保障、戦争放棄の平和主義を謳った日本国憲法のもと、新しく生まれた記念すべき第1回国会において、「人的資源」の発想は「堕落した人間観、人間性を否定するところの哲学」だと批判されたのである。
そして、それが「軍国主義とともに完全に打ち砕かれた」のは喜ばしいことだという主張が、本会議場で拍手をもって迎えられた。まだ戦後間もない当時、「人的資源」の発想がもたらした惨禍の記憶が国会議員たちの間に、すべてとは言わぬまでも、かなり共有されていたのだと思われる。
この歴史的事実を、私はインターネットの「国会会議録検索システム」(国立国会図書館)というサイトで「人的資源」を検索してみて知った。古い年代順に並んだ検索結果の先頭に載っていたのである。 ~つづく~ (文中敬称略)