ビルマ潜入紀行 ~東南アジア最後の軍事独裁国家からの報告~ (32)

※お断り ミャンマー(ビルマ)入国取材の安全を期して、宇田有三氏は「大場玲次」のペーネ  ームを使用していましたが、民主化の進展に伴い危険がなくなりましたので、APN内の記事の署  名を「宇田有三」に統一します。
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【写真:炊きたての白米を托鉢の僧侶に捧げる。イスラム原理主義やキリスト原理主義があるとすれば、ビルマはさしずめ、仏教原理主義の国だろうか。何はともあれ年長の者を敬う風潮があり、男というだけで地位がある。地域社会で人びとは、病院や学校がなくとも仏塔を建立するために寄進する。一見すると不合理とも思える文化も根付いている】

2008年の元日をビルマで迎えた。

もっともビルマの新年は4月なので1月1日は特別な日ではない。
この日は、前日の12月31日と同じく、ラングーン(ヤンゴン)の町は、役所も商店も開いているし、普段の日と全く変わりがない。
もっともビルマ軍政にとって1月1日は、忌まわしい日であっても祝う日ではないようだ。

「1885年の12月31日は、インド総督が大英帝国にミャンマーを吸収を宣言した日であり、世界的な新年である1月1日は、ミャンマーが植民地支配下に入った日である」(『ミャンマーの新しい灯』12月31日)
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