市場の中の食べ物売り場は、朝鮮の《世論》が露出する場でもある。(2005年5月平安南道安州郡 リ・ジュン撮影)
市場の中の食べ物売り場は、朝鮮の《世論》が露出する場でもある。(2005年5月平安南道安州郡 リ・ジュン撮影)

 

党と国家の宣伝教化によって形成され、学者や教員、作家、記者らを通して植えつけられた住民たちの統一観は、かつては次のようなものだった。
七〇年代までは、「米帝とその手下である南朝鮮傀儡徒党を一掃し、帝国主義的植民地支配に苦しむ共和国の南半部を取り戻そう。」

八〇年代の統一観は「党が平和統一のスローガンを高く掲げれば、全軍全民は戦いの準備を完了させ、首領が命令さえ下せば南朝鮮を一気に解放する。」
その後、一九九四年の金日成死亡に続く九〇年代後半の大混乱、二〇〇〇年の六・一五南北首脳会談など、南北の力関係の変化と対立状況の緩和があって、朝鮮半島には新しい情勢が生まれた。

それでは、今日の朝鮮の一般住民の統一観とは、果してどのようなものだろうか。その答えはごく平凡な住民の意識の中にこそ見出すことができるはずだ。
紹介するのは、今や「猫の角以外はなんでもある」と言われるジャンマダン(市場)に出かけた時の話である。たまたま「南北の比較」が話題に上ったのだが、これが最近の朝鮮の民衆の統一観をよく現していると思ったので、再現してみたい。
◎    ◎    ◎
山河も凍りつく○○市の真冬の市場の片隅では、熱々の温麺を売る人々が、火を起こしながら客を呼び込むのに大忙しだ。昼食時なので、小間使いの子どもたちが食べ物を配達するために忙しそうに走りまわっている。

温麺屋の隣の米売りの屋台からも、出前でとった麺をズルズルとすする音が聞こえてくる。あちこちで食べ物を食べながら、フーフーと吐き出す熱い息が白く立ちこめている。この国の人々は本当に麺が好きだ。
ふとキム・ソンダル(注1)の話を思い出した。

蒸し暑いある夏の日、ある意地悪な両班(リャンバン=貴族)が作男のトルセに馬を引かせてソウルに向かっていた。
いつの間にか昼時になった。馬を止めさせた両班は、近くに凉しそうな柳の木陰を見つけ、そこに入ってひと休みすることにした。
作男は馬の手網を柳の枝に結んだ。馬から下りた両班は、扇を取り出してはたはたと扇ぎながら、市場へ行って麺を一杯買ってくるよう作男に言いつけた。
両班が長く待たされていらいらしていると、麺のどんぶりを両手で捧げ持った作男が向こうの方に現れた。

ところが、この作男、どんぶりの中をじっと見つめている。そして、ときどき指をどんぶりの中に突っ込んでかき回したりしているではないか。
両班は腹が立って近くまで来た作男を「このたわけ者!」と怒鳴りつけた。
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