朝鮮で「嘱託殺人」事件が起きた!……と言っても、別に驚くにあたらない。国家権力の不正腐敗により無法地帯化してしまった社会では、昼夜を問わず何かしらとんでもない事件が起こるのも至極当然なことではなかろうか。
一九九〇年代、国家による強盗とも言える配給途絶に端を発した朝鮮社会の道徳破壊は、凄まじい勢いで進行し、いまや崖っぷちから転がり落ちんばかりの様相である。
核戦争の果てには勝者も敗者もないと言われる。核による破壊があまりに凄まじいため、勝利だ敗北だなどというものには何の意味もないという意味である。
ところが、朝鮮社会には現在、核戦争よりもっと恐ろしい破壊が到来している。それは、社会全体の道徳と良心の破壊なのである。
二〇〇六年の上半期に平安北道雲山(ウンサン)郡で起きた事件は、朝鮮社会で道徳がいかに破壊されているかを象徴する事件であった。
近年、国は子供をたくさん産めと盛んに騒いでいるが、「子供がいないのが幸運」という諺があるように、「苦難の行軍」時期以来、朝鮮では子供のいない家庭が生存競争において勝者となる確率が高い。
以前は、子供がいないと「インポテンツ」だとか「不能もの」だとか、世間から様々な侮辱を受けたものだが、今ではわが子を捨てたり、殺したり、売ったりといったことまで起こっている。
これもみな前代未聞の配給途絶時代到来のせいである。このような殺伐とした社会になると、むしろ子供のいない夫婦の方が人々の羨望の的となった。
いや、子供がいないことが金持ちになるための必要条件でさえあるのだ。
これから紹介する雲山郡の夫婦も子供がいないおかげで、蓄財に精を出し、にわかに道内屈指の金持ちとなった。これも「先軍政治のもう一つの勝利」に他ならない。
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