こうしてたったの三〇万ウォン(注1)で、ついさっきまで殺気に満ちて妻を殴っていたテソンは、あっと言う間に静かになった。
しかし、今度はテソンの親戚が黙っているはずがなく、捜査が行われ、チュンシルは逮捕された。
動機はあったが、明らかな証拠は見つからず、金の力で進められた捜査と裁判は、結局、死人の方を断罪する方向で収束した。

法治国家でない上に、まともな新聞すらない朝鮮で、銃殺だ何だと大騒ぎしたこの事件も、結局うやむやに終わり、人々の記憶から消えてもう久しい。
今回、私は雲山郡を訪ね、たまたま保安員と話す機会があったので、チュンシルのその後について訊いてみた。彼らは意外にもあっさり答えてくれた。

「あの女、浮気相手だった保安員たちにオートバイやらコンピューターやらを買ってやって、何とかするように頼んだんだ。裁判所は銃殺とか、なんとか言ってたけど、結局、雲山では銃殺せずに他のところへ連れて行ったらしい。」
「そこで銃殺に?」

「いや、雲山から『追放』したのさ。ハハハ」
「こんな田舎から追放されたということは……。それは何月の事ですか?」
「七月だったかな、六月だったかな?もうすっかり忘れちまったよ。」
「……」

つまり銃殺刑すらも、金の力によって覆せる世の中になってしまったということだ。私は、そこまでこの社会の腐敗が進んでることに衝撃を受け、しばらく呆然となった。
資料提供 シム・ウィチョン(沈義川)
二〇〇六年一二月
(整理 チェ・ジニ)
注1 事件当時、米ドルで一〇〇ドルを少し上回る。

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