大村一朗のテヘランの風 香港・新世代の横顔3
普通、どんな国を訪れても、その国の文化や風土、またそこに住む人たちの強烈なアイデンティティーと向き合うことで、自分が異邦人であることを思い知らされ、それがときには強いストレスや孤独、疲労を感じさせたりもする。
ところが香港では、全くそんな思いを感じることがなかった。
そこでは欧米、アジア、アフリカから外国人が好きなようにやって来て、好き勝手に怪しげな商売を繰り広げていた。当の香港人はといえば、自分たちのビジネスを粛々とこなし、自分を主張することなどない。外国人にとって、こんなに気楽な場所はなかった。これは植民地というものの特徴だろうかと、そのとき私は思った。
そして今、私は15年ぶりの香港で、日本中の高層ビルを集めても足りないような摩天楼を、口を開けて見上げている。再開発と埋め立てが進み、空港も郊外へ移転したため、高層ビルの高さも数も15年前より格段に増えている。だが、この再開発が香港にもたらした変化は、高層ビルだけではなかった。
香港島ビジネス街。その中でも比較的古い町並みが残る灣仔(ワンチャイ)エリアで地下鉄を降り、徒歩10分。古い雑居ビルの6階に香港獨立媒體(Inmedia)の事務所がある。
かつてイランでともにペルシャ語を学んだフリージャーナリストの朱凱迪は、この独立系メディアの記者であり、また市民運動家として知られている。香港を訪れた私に声をかけ、ジェニンさんのパーティーに誘ってくれたのも彼だった。
Inmediaは、香港最大の独立系メディアであり、そのウェブジャーナルは多くの市民記者の表現の場となっている。朱はInmedia の持つ意義を次のように語る。
「マスメディアは香港では資本家の手に握られている。彼らのビジネスに支障のある事柄は報道されないし、一般の人間の手の届かないところにある。一般の人々が自分の意見を発表したり、それについて議論できる場をネット上に作りたかった」
現在、Inmedia に登録している市民記者の数はおよそ400人。そのうち活発に記事を発表しているのは1割ほどだ。内容は政治、経済、芸術と多岐にわたり、一つの記事にはたくさんのコメントが付き、まさに自由な意見交換の場となっている。ウェブサイトへの一日の訪問者数は5000から9000に上る。Inmedia のウェブジャーナルは中国本土ではブロックされており、このヒット数は主に香港内のものだ。
Inmediaの創設は4年前と比較的新しい。だが、創設に至るまでには、長いストーリーと、それに伴う香港の若者たちの意識変化があった。この組織の運営方針を決める執行委員の一人、區佩芬さんが、Inmedia創設の歴史を語ってくれた。
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