埠頭の取り壊し反対運動に際し、inmedia をはじめとする様々なグループがセミナーを開催した。ジェニンさんもそうしたセミナーに参加し、新しい動きに合流した一人だった。
ジェニンさんは、あのパーティーを始めるにあたって、開催場所であるバーのマスターを説得するのに苦労したという。マスターは、バーには公務員など政府関係者のお得意さんもいるから、あまり政治的なことはしてほしくないと、当初、パーティーの開催を渋っていた。しかし、今では胸を張ってこう語る。

「大埔(タイポー)の文化交流の場として提供しているんだよ。ここ大埔は、広い湾があり、海に陸がせり出しているから、海の民である客家、山の民である且家、2、300年前から香港に住む圍頭といったいろんな人々の文化が混ざっている。特にこれらの人々の食の文化が面白いね」

植民地時代の香港では、学校の歴史の授業に「香港史」というカテゴリーは存在しなかった。だから今、若い人たちを中心に、自らの歴史と文化に目を向け、少しでも歴史的なものを保存しようという運動が起るのは理解できる。

また、植民地時代の歴史も自分たちのアイデンティティーの一部であるという認識は、香港返還後、中国本土に対する反発から生まれたものなのかもしれない。
では、この「ニュームーブメント」は、一体どこへ向かおうとしているのだろう。私の問いに區佩芬さんは言う。

「私はべつに、反中国でもなければ、香港人として誇るべきナショナリズムを求めている訳でもありません。欲しいのは自由と民主主義。それだけです。そのために人々の連帯が必要なのです」
市民による直接選挙が存在しない香港では、デモで声を上げることしか行政に意見を反映させる手立てはない。

そのためには人々の連帯が必要であり、その連帯を生み出すのがこの運動である、というのが區さんの解釈だ。とはいえ、恐らく動機も目的も人それぞれなのだろう。だが、行き着く先はきっと一つ。それは、香港人が香港の主人公になるということだ。

強い政治と文化の風が吹き始めた今の香港に、15年前に感じたあの居心地の良さはもはやない。やはりあの空気は、植民地という土地が持つ独特のものだったのだろう。
『香港・新世代の横顔』 おわり

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