テヘラン中心部のジョムフリー(共和国)通り。電気店がひしめく、テヘランの秋葉原と呼ばれるこの通りから道を一本折れたとろこに、テヘラン証券取引所のビルがある。
テヘラン証券取引所は、1967年に設立された。イラン・イラク戦争が88年に終結し、戦後の復興期を経て、さらに10数年が経つにもかかわらず、イラン経済はいまだに国営部門が中心を占める。そのため、テヘラン証券取引所への上場企業もわずか420社しかない。
2008年12月15日。初雪が舞い散る中、私はがっしりとした石造りのテヘラン証券所の門をくぐった。折りしも二日前、テヘラン証券取引所では、株価指数が5年ぶりに9000ポイントを割り込み、いよいよイランにも世界金融危機の波が訪れたかと騒がれていた。
取引所の1階のフロアーでは、たくさんの投資家たちが、電光掲示板を睨みながら情報交換を行なっている。圧倒的にお年寄りが多く、退職後の小金持ちのおじいさんたちの社交場といった趣きだ。若い人を見つけて話を聞いてみることにした。30代のモルテザーさんは、自分はあの爺さんたちとは違い、株で食っていると胸を張る。
「リスクを分散するために政府系企業の株を何社も買っていたけど、結局、全部損したよ。イランの政治家は、世界金融危機はイランには関係ないって言うけど、そんなことはないね。世界の大企業は全部鎖みないにつながっている。一箇所が切れれば、全部に影響が出るもんさ」。
アメリカで発生した金融危機が日本やヨーロッパの市場に波及し始めた頃、イランの国営メディアはそれを、現代の欧米主導による国際金融体制の失敗であると論じ、聖職者や政府関係者の一部は、投機的で実態のない、利潤だけが目的の西側の金融市場が破綻したのは、まさに天罰であると声を上げた。
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