以前、まだペルシャ語の教室に通っていたとき、わざわざイラン中部の都市イスファハーンからやってきたという男が、学校の門の前で日本人が現れるのを待ち構えていて、懇願されて仕方なく、彼の日本製の冷蔵庫の様子を見るため600キロ離れたイスファハーンまで出かけたこともあった。
しかし、彼らの頼みごとの多くは、どだい素人では歯が立たないものがほとんどだ。大抵は何一つ解決せず、相手を失望させるだけで、感謝すらされない。
そうした経緯から、私は正直、「韓国製品のことまで責任持てるか」と口から出掛かっていたが、それをぐっと飲み込んだ。こういうとき私は、友人が教えてくれたシーア派初代イマーム・アリーの言葉を思い出す。
『頼みごとは、相手が申し出る前に引き受けてやるがよい。相手が申し出てから引き受けたのでは、美徳とは言えない。なぜなら、相手に頼みごとを言わせることで、相手を恥じ入らせてしまうからである』
その友人はこの格言通り、私が困っているときはいつも、私が助けを請う前に助力を買って出てくれた。それは確かに、こちらが頼んでやってもらうより、数倍も感謝の気持ちを抱くものだった。
だからという訳ではないし、この運転手が後で恥じ入るとも思えないが、ここまで言われては仕方がない。
「分かりました。とりあえず僕がメーカーのホームページを見てみますよ」
それだけで運転手はとても喜んでくれた。
その日、メーカーのホームページを開いてみると、会社の住所はアラブ首長国連邦のドバイになっていた。とりあえずメーカーにメールを送ってみたが、おそらく今回も大した役には立てないだろう。
相手を恥じ入らせはしなかったが、自分が恥じ入る結果になっては、これも美徳とは言えない。