第4章
戦後日本の経済大国化のなかで
物と人間とを並べる考えは許されない
かつて多くの人間を戦争遂行のための国家の資源として扱い、動員した「人的資源」の発想は、北村徳太郎いわく「軍国主義の完全敗北とともに打ち砕かれた」はずであったにもかかわらず、その目的を経済復興に変えて、しぶとく甦ってきたといえる。
戦争遂行であれ、経済復興であれ、それが国策として掲げられるとき、「人的資源」の発想と言葉はいわば融通無碍に装いを使い分けながら、人の頭の中に入り込むものと思われる。
だが、そうした傾向に対して歯止めをかけようとする国会議員の発言もまだ見られた。たとえば1955(昭和30)年5月17日の衆議院予算委員会で、右派社会党議員の井堀繁雄はこのような追及をしている。
「昨日のICC(筆者注:国際商業会議所)の第15回総会の開会式に鳩山さんが、総理の立場であろうと思いますが、挨拶をいたしております。その挨拶の中で、......中略......アジア地域は人的物的に膨大な資源を有しながら、資本及び技術の不足のために開発が十分に進展し得ず云々、こういう言葉を使っているわけであります。
その全体の趣旨は私どもはよく了承ができるのでありますが、ここで聞き捨てならぬことは、アジア地域、日本だけではありません、アジア地域と言っておりますが、その人的資源という言葉を使っている。この人的資源という言葉はたびたび、戦争中にも問題になり戦後にも問題になったのです。......中略......こういう言葉の趣旨を一体どういう具合におとりになって発表されたのか、この機会に副総理からでもけっこうでございますから、伺っておきたい」
次のページへ ...
1 2