小倉清子のカトマンズジャーナル~タバンの人たちの真情
ロルパは確かに変わっている。しかし、10年間の紛争の傷跡はほとんど癒えずに残っていることを、今回の訪問で改めて認識した。
今回、タバン村に同行してくれた村人6人のうち、1人は左手を失い、2人は襲撃のさいに受けた弾丸の破片が今も身体の中にある。もう1人は父親を国軍に殺害されていた。
タバン村には、家族あるいは親類に、こうした紛争被害者がいない人はほとんどいないだろう。体内に今も弾丸あるいは爆弾の破片が残っている人だけでも数十人はいるという。襲撃に“ボランティア”として行った一般の村人から、今も党で活動するマオイストまで、さまざまである。
なかには、人民戦争の中期に、マオイストの基盤が弱かった極西ネパールや東に行き、党組織拡大に重要な役割を果たした人たちもいる。
彼らのほとんどが、ちゃんとした治療を受けることもなく、身体に問題を抱えたまま日常生活を送っている。彼らと話していて、心の底から怒りが湧くのを何度も経験した。
一体、首相であるプラチャンダをはじめとする“リーダー”たちは何をやっているのか。紛争中は安全なところにいて、襲撃の現場を見たことさえないリーダーたちは、こうした人たちのことなど考えもしないのだろう。彼らは相変わらず貧しく、へたをすると、身体のなかに“爆弾”を抱えたまま一生を過ごすことになる。
タバンで会った、ある村人(一般の)がこう言い放った。「リーダーたちは、戦争中は安全なタバンに来たものだ。私たちが彼らを守った。しかし、戦争が終わったら、彼らはタバンのことも私たちのことも忘れてしまった」。彼らに納得のいくような“答え”を示すことができなかったなら、ロルパには紛争の種が残ることになるだろう。