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【国会議事堂のそばにある首相官邸。歴代の首相のうち何人もが「人的資源」発言をしている】
【国会議事堂のそばにある首相官邸。歴代の首相のうち何人もが「人的資源」発言をしている】

第4章
戦後日本の経済大国化のなかで

時代の変化に応じて浸透する
戦後の日本経済は1950年から数年間、朝鮮戦争による特需景気で潤い、息を吹きかえしていた。経済復興は軌道に乗り、昭和30年代になってからは高度経済成長の幕が開く。

1960(昭和35)年に登場した池田勇人内閣は、「国民所得倍増計画」を国家目標として打ち出した。
池田は61年9月29日の参議院本会議で、
「所得倍増計画を立て、そうしてその手段として、減税と社会保障と、そうして倍増計画のもとをなす公共投資、そうして人的資源の育成、これは続けていくつもりでございます」と力説している。

戦後の経済復興が成し遂げられ、さらに高度経済成長に向かう時代になると、「人的資源」は単に生産増強に必要な労働力としてだけではなく、重化学工業を中心とする産業構造の高度化や技術革新に対応できる知識と技術を持つ労働力の担い手という意味を伴うようになる。
「人的資源」の発想は時代の変化に適応しながら、力を得ていく。

池田内閣の大蔵大臣で、後に「日本列島改造論」を唱えて首相となる田中角栄は、東京オリンピックが開かれた年の1964年3月4日の参議院大蔵委員会で、確信的にこう語った。
「日本のように原材料を持たない、ただ人的資源を持つだけの特殊な国は、結局外国から原材料を入れて、これに日本人のいい知恵による加工を加えて、これを逆に輸出する。それによって外貨をかせいで、それが日本人自体の生活向上をささえておるというのは、これは百年の歴史が実に如実に物語っておるわけであります」
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