つまり、「人的資源」を明治時代以来の日本の近代化と結びつけて説明しているのである。
高度経済成長の時代から、国会で「人的資源」という言葉は、池田や田中が使っているように、もっぱら産業立国・貿易立国のために活用すべき手段のひとつ、必要不可欠なものとして、積極的な意味で語られてゆく。
「人的資源」を批判する議員の発言は、散発的にはなされるものの、昭和40年代後半からは影をひそめる。それは敗戦から時が経つのと比例しているかのようだ。

国家総動員体制構築の過程で生み出され、戦争と軍国主義の歩みとともにあった「人的資源」の歴史が、あたかも払拭(実は忘却といえるが)されたかのように。「人的資源」の発想は装いも新たに、日本社会に浸透していった。

そして昭和から平成へと時代が移るとともに、行政改革・規制緩和・民間活力導入・国際競争力の強化・構造改革といったスローガンのもと、国会では「人的資源」活用論の花盛りといっても過言ではない状況を呈している。
1990(平成2)年6月18日の参議院本会議で、当時の海部俊樹首相は行政改革と規制緩和の推進に熱意を示しながら、こう答弁している。

「行政改革は、行政を取り巻く内外の環境の変化に対応し、活力ある経済社会を構築していくために行うものであり、......中略......三公社の民営化など大きな成果を上げてきております......中略......。今や民間部門は大きな経済力、情報力、人的資源等を持つに至っており、これからの新しい社会の発展を担う原動力になるのではないでしょうか。

公的規制の緩和を通じて民間が活力を発揮し、国民生活の質の向上、産業構造の転換、地域の活性化及び開かれた市場の形成を目指していくことは、今後の我が国経済社会の発展にとって不可欠の課題であると私は考えております」
1996(平成8)年12月4日の参議院本会議では、当時の橋本龍太郎首相が、
「大競争時代における人的資源、これはまさに御指摘のように、質の高い雇用機会をつくり出すために企業と労働に関する諸制度の改革を進めることが必要であります。このため、職業能力開発の推進体制の整備など労働・雇用制度の改革、企業組織制度の改革などを積極的に進めていきたいと思います。

人の効率的な移動を支える基盤整備につきましては、特に高付加価値化、新分野展開を担う高度な職業能力を兼ね備えた人材の育成が急務となっております」
と、グローバル市場経済での大競争時代に適応できる能力を「人的資源」に求める考えを強調した。
~つづく~ (文中敬称略)

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