朝鮮が「実利主義」を取り入れるようと決めた背景には、まず国家の計画経済が完全に形骸化してしまったことがある。
その実、(稼働している企業の)ほとんどが、党や軍、保安(警察)などの特権機関所有の「外貨調達会社」になってしまった。その結果、政治権力層と一般大衆の貧富の差が拡大固定化してしまい、党や国家、社会の(社会主義的な)「人民的性格」が失われ、経済的機会の不平等が蔓延するようになった。
そして、権力の不正腐敗を批判することも、抑制することもできない中で、人類の歴史上類例のない大量餓死、大量放浪を発生させた。その一方で権力層だけが蓄財していることに対して不満は高まり、責任問題を避けて通ることができなくなったのだ。
都市でも農村でも、改革以外に経済回復の方途がないことがはっきりしたため、「実利主義」導入は避けられなくなったといえる。
一方で、一九九八年に始められた「先軍政治」も、「実利主義」の導入を必然的に促すことになった。
なぜなら、「先軍政治」の実態は、権力者たちの個人蓄財競争であり、「実利主義」の導入は蓄財のチャンスが増えることに繋がるからだ。
それから、この「先軍政府」と国際社会との関係が、一時的に融和に動いたことも背景のひとつだといえるだろう(米国はクリントン政権の末期からブッシュ政権の初めまで、日本は小泉政権、韓国は金大中政権によって、融和ムードが漂ったことを指すと思われる)。
しかし、我が国の「実利主義」は、中国の改革と比べて未熟で欠陥だらけだ。
対外開放を伴わないし、経済システムの改革としては中身は空っぽで「先軍権力層」の既得権の保護ばかりに利用されている。
結論を言うと、朝鮮の「実利主義」は、社会の生産活動を刺激し企業環境を健全にする経済構造改革ではなく、権力者の不正腐敗をますますのさばらせる結果となっている。
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