市場に並ぶ若い女性向けの髪留め、髪飾り、リボン。どれも中国製だ。この外国製商品が、朝鮮の若者に外部のファッション情報を伝える媒体となっている。(2005年5月平安南道 リ・ジュン撮影)

 

ファッション、社会への不満そして希望 6

〈インタビュー3〉パク・ミオクさん 一九歳 1
咸鏡北道××郡出身。中学を卒業後、建設会社に配置を受け二年働く。家には両親いるも、母は病気がち。姉が一人いたが結婚して家を離れている。
〇七年秋に中国に越境。
インタビューは同年一一月にキム・ヘギョン(アジアプレス)とリュウ・ギョンウォンが行った。整理 石丸次郎

「中くらい」の暮らし向き
Q:家のことついて教えてくれる? どうやって暮らしてましたか?
A:父は平凡な労働者です。食糧配給は出ないし、私は給料が八〇〇ウォンしかなかったので、別に両親が畑を耕しています。

Q:八〇〇ウォンというのはまた安い給料だね。どんな建設会社なの?
A:一般住宅を建設します。中学出て間もない女子は力がないので、それぐらいしかくれません。
朝鮮では三月に中学卒業すると五月から職場で働き始めないといけないんですが、就職しても給料も配給もまともに出ないので、両親はしんどい場所に送らず家にいさせたがるんですが、朝鮮は社会主義ですから働かないで家にいると捕まるんです。労働鍛練隊(注1)に送られてしまいます。

Q:畑を耕して食べてるわけだ。
A:畑といっても(不法耕作地の)「小土地」(注2)です。

二〇〇坪ぐらいを耕して年間トウモロコシ一〇〇キロほどの収穫があります。それに家で豚とウサギを販売用に飼っています。豚を二匹売れば一年分の食糧、つまり三人家族で約五〇〇キロを買える金額になります。

Q:ミオクさんの家は、朝鮮の中で生活水準は上中下のどこに入ると思う?
A:中ぐらいでしょうか。しんどいけれど食べられていましたから。本当にひどい暮らしをしている家もあります。両親が病気の家なんか大変です。
次のページへ ...

★新着記事