当時の経済戦略会議議員は樋口廣太郎(アサヒビール名誉会長)、井出正敬(西日本旅客鉄道会長)、奥田碩(トヨタ自動車社長)、伊藤元重(東大教授)、竹中平蔵(慶応大教授)をはじめ10人で、すべて有力財界人と学者である。なお、肩書は当時のものである。
1999年、労働者派遣法は改正され、派遣対象業務が原則自由化(港湾運送、建設、警備、医療、製造の業務は除く)された。職業安定法も改正され、有料職業紹介の対象職業が拡大された。
経済戦略会議の後を継ぐ経済財政諮問会議の答申で、小泉純一郎内閣当時の2001年に閣議決定された『今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針』には、
「『知識/知恵』は技術革新と『創造的破壊』を通して、効率性の低い部門から効率性や社会的ニーズの高い成長部門へとヒトと資本を移動することにより、経済成長を生み出す。資源の移動は『市場』と『競争』を通じて進んでいく」という一節がある。
つまり、ヒト(人)は資本(金銭など)と同じように経済の資源と見なされ、市場での競争原理に委ねられるべきだというのである。
経済財政諮問会議の産業競争力戦略会議が2002年に出した『競争力強化のための6つの戦略』でも、「雇用機会の拡大」と「労働移動の円滑化による人的資源の最適配分の実現」が重視され、「労働者派遣の規制緩和(生産現場の対象化、派遣期間の延長)」などの早期実施が提案されている。
2003年、職業安定法と労働者派遣法が改正され、製造業(生産現場)への派遣が解禁された。派遣期間制限も原則1年から3年に延長された。
つまり、1990年代後半から次々に、財界と各諮問機関の提言通りに労働法制の規制緩和がされたことになる。選挙で選ばれたわけでもない有力財界人と一部の学者が、諮問機関のメンバーに任命され、多くの人びとの生活と人生を左右する政策や法規制の緩和を方向づけている。~つづく~
(文中敬称略)