第5章
「人的資源」活用論と雇用の流動化と労務統制
人間の手段化
『戦時経済と労務統制』(内藤寛一著 産業経済学会 1941年)という本がある。太平洋戦争が始まる年の2月に出た同書の著者は、当時の厚生省(現厚生労働省)職業局長である。
厚生省は日中戦争が始まった翌年の1938(昭和13)年に、内務省から分かれて設置された。国民の体力向上、保健衛生の改善、社会保険や労働行政の管轄などを目的とし、それは国家総力戦に必要な兵力と労働力の維持・供給のためであった。
当初は社会保健省という名で構想され、その「設置理由」がこう提唱された。
「人的資源ノ改善充実ヲ図リテ国民的活動力ノ源泉ヲ維持培養シ産業経済及非常時国防ノ根基ヲ確立スルハ国家百年ノ大計ニシテ、特ニ国力ノ飛躍的増進ヲ急務トスル現下内外ノ状勢ニ鑑ミ喫緊ノ要務タリ」(『国家総動員史』資料篇第4 石川凖吉著 国家総動員史刊行会 1976年 671頁)
その同じ年には、
「戦時に際し、国防目的達成のため、国の全力を最も有効に発揮せしむるよう人的及物的資源を統制運用する」ための国家総動員法も制定されている。
国家総動員体制のもと、必要な労働力を軍需産業にいかに配置するかなど、「労務配置」を統制する中央機関が厚生省職業局だった。
『戦時経済と労務統制』によれば、「労務配置」の目的は「人的資源を国家の要望に即応して最も効果的に配置しようとするもの」であるという。
「適材を適所に置くこと自体がすでに労務資源の能率的利用の所以であるが、さらに能率低下を防止する方法を講ずる必要がある。かかる見地から見ても、労務者の移動ということは望ましくないのであって、労務者の移動防止策はここにも重要な意義を有する。......中略......労務者を能率的工場事業場に集中するように配置することが必要である」(『戦時経済と労務統制』 27頁)
当時、多数の男性が軍隊に動員され、国内は労働力不足だった。しかも拡大する軍需産業では技術者や熟練労働者の不足が深刻化していた。企業間の引き抜き合いが見られ、高賃金を求めて会社を移る者も多かった。
それでは軍需生産の効率が落ちるため、政府は従業者移動防止令を定めて、引き抜き行為を禁止するなど対策をとった。
しかし、労働力不足は解消されず、国家総動員法に基づく国民徴用令によって、日本人だけでなく、植民地支配下の朝鮮人をも含めて強制動員をおこなうのである。
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