大村一朗のテヘランつぶやき日記~テヘラン共同墓地ベヘシュト・ザハラーを訪ねて(1) 2009/05/16
◆テヘラン市民の行き着く場所
映画「おくりびと」のオスカー受賞のニュースは、映画大国イランでも、主要紙の文化欄や芸術欄で少なからず取り上げられた。
そこでは、真摯な社会的ドラマとして評価されてはいるが、この映画がイランで公開されることは、まずないだろう。男性の納棺師が女性の遺体を着替えさせたり、身体を拭いたりすることは、イスラムの倫理に触れるからだ。
イランには、納棺師という仕事は存在しない。なぜなら、棺桶そのものが存在しないからだ。死者は洗浄されたのち、白布で包まれ、そのまま墓穴に納められる。強いて言うなら、遺体を洗い、最後の処置を施し、白布に包む仕事が納棺の仕事に当たる。イスラムでは、果たしてどのように人を「おくる」のか。それを見るため、テヘラン郊外の共同墓地ベヘシュト・ザハラーへ向かった。
テヘランから南へ40分ほど車を走らせた郊外に、広大な共同墓地ベヘシュト・ザハラーがある。イスラム教徒は土葬であるため、衛生面や場所を取ることなどを考慮し、たいていどこの町でも、郊外の荒野に広大な共同墓地を擁し、ほとんどの市民がそこへ葬られる。ベヘシュト・ザハラー墓地も、人口800万のテヘラン市民の共同墓地として、今も拡張を続ける総面積434ヘクタールの広大な墓地だ。
墓地の門を車でくぐると、直線道路が延々と続き、その左右には、木立に囲まれた墓地がどこまでも続いている。
「ここは一つの国みたいなもんだよ。大統領も、軍隊も、芸能人も、一般市民も、みんなここに眠っているんだから」
今日、ここへ私を案内してくれたスィーロスさんが言う。
「もう何回も来たことあるけど、広すぎて道順が覚えられないね」
私たちが探していたのは、ガッサール・ハーネと呼ばれる遺体洗浄場だ。
イランでは、自宅に遺体を安置し、通夜や葬儀を催す習慣はない。家族が亡くなれば、その当日か、遅くてもその翌日には埋葬される。埋葬にあたって、遺体とその関係者がまず訪れるのが遺体洗浄場である。
ようやくたどり着いた遺体洗浄場は、周囲の静寂とは対照的に、喪服に身を包んだ数百名の人々であふれかえっていた。突然の訃報に、まだ心の整理も出来ていない人々が、いたるところで泣き崩れている。
大理石で出来た建物から、洗浄を終えた遺体が担ぎ出されてくるたびに、「ラー イラーハ イッラッラー(アッラーの他に神はなし)」の掛け声と、遺族の泣き叫ぶ声が辺りに響き渡る。遺体洗浄場の入り口は、男性用、女性用に分かれており、誰でも自由に建物の中に入り、遺体の洗浄を見学できるという。
見学用サロンは、部屋の左右両面に張られたガラス窓越しに、洗浄室の様子を覗き込むことが出来るようになっており、どこか産婦人科の新生児室を思わせた。洗浄室には、石造りの台座と浴槽が4セット置かれ、緑のつなぎにゴム長靴とゴム手袋、腰痛対策の太い革ベルトといういでたちの洗浄人の男たち5、6人が待機している。
遺体は、黒いナイロンの袋に入れられ、担架で運ばれてくる。それを二人がかりで石の台座に乗せると、ナイロンの袋を開け、遺体の着ているものを手際よくハサミで切り、あっという間に丸裸にしてしまう。
そして、遺体を空の浴槽に横たわらせ、身体全体にシャワーをかける。大きなスポンジで立てた泡で身体中を包み込むように洗い、防腐剤入りの液体をバケツで身体全体にかけ、身体に傷口などがあれば、そこに薬品をふりかける。
そして、再び台座に戻すと、ビニールと何枚もの白布で身体を巻き、頭と足の先を白い帯で縛り、再び担架に載せて、遺族の待つ外へ送り出す。
一人あたり、ものの5分もかからない。手馴れた作業だった。 (つづく)