【アーザーディー広場へと行進するデモ参加者】(撮影:筆者/テヘラン)
大村一朗のテヘランつぶやき日記~6.15デモ(1) 2009/06/15
最高指導者ハーメネイー師とムーサヴィー候補の会談は、一夜明けてから大きく報じられた。ムーサヴィー候補はこの会談で、今回の選挙で不正が行なわれたと考えられるいくつかの事例をハーメネイー師に報告し、ハーメネイー師はこれに対し、選挙結果を承認する法的権限を持つ護憲評議会で精査することを約束したという。
この日の午後、テヘラン中心部を東西に走るアーザーディー通りで、ムーサヴィー支持者らによるかなり大規模なデモ行進が行なわれることを知った。私は仕事を終えると、その足でアーザーディー通りへ向かった。
その途中、テヘラン大学学生寮を通った。窓ガラスが全て投石によって割られ、あちこちの部屋から出火の跡が見られる。かつて私も暮らした外国人棟まで無残な廃墟と化していた。
テヘラン大学学生寮は、改革派学生の拠点であり、1999年の騒擾事件でも中心的役割を果たし、暴力集団による襲撃を受けた。
今回も、改革派、特にムーサヴィー候補の支持学生の多くが、この寮に住んでいたはずだ。昨夜未明、学生たちが寝静まった時間、突如、私服の暴力集団が寮を襲撃し、死者数名、さらに200名近い学生が連れ去られた。このため、今日予定されていた期末試験が多くの学部で延期された。
これら二つの出来事が、この日の抗議デモにどれだけの影響を与えたか定かではない。しかし、一つは大きな希望として、もう一つは大きな怒りとして、参加者の胸に秘められていたことは確かだ。
渋滞で、デモ行進が行なわれているアーザーディー通りまで車で行くことはできず、3キロほどを歩くことを余儀なくされた。
そして、ようやくアーザーディー通りに着くと、そこには、ピースサインを掲げながら、黙々と数キロ先のアーザーディー広場を目指す群衆がいた。
時刻は19時を回ろうとしていた。この行進自体は4時間ほど前に始まったそうだが、まだ人の流れは途切れていない。
当局は、このデモ行進の許可申請を却下し、治安部隊に実弾使用を認めているとメディアでは報じられていた。にもかかわらず、誰もが笑顔で行進を楽しんでいるのが印象的だった。
アーザーディー広場へ向かう人の流れ、広場から折り返してくる人の流れ、さらに沿道には、手を振り行進を見守る人たちがいる。歩道橋の上に上がって見渡せば、西方面は、まだ遠いアーザーディー広場まで、東は見えなくなるまで、テヘラン一の幹線道路は人で埋め尽くされていた。初めて目にする数十万という人の数に、私は息を飲んだ。
緑の鉢巻をつけた若者が声をかけてくる。記者かと私に尋ね、大群衆を指差して、「これこそがイラン国民の姿なんだ!伝えてくれよ」と興奮気味に話す。
これだけの大群衆にもかかわらず、行進は冷静さと理性によって平穏に保たれていた。歓声や話し声はあっても、スローガンは一切叫ばれず、代わりに、スローガンの書かれた画用紙を掲げて歩いていた。
途中、ある箇所に通りかかると、若者らが「右手に向かってピースサインを」と呼びかけていた。右手にはバスィージ(革命防衛隊傘下の市民動員軍)の施設があった。そして別の若者は群衆に向かって、自分の唇に人差し指を当てて、決してスローガンや野次を叫ばないよう、促している。騒ぐことで、彼らを刺激したり、デモへの攻撃や鎮圧の口実を与えてしまうことを恐れての措置だ。
それでも時おり、スローガンを叫んでしまう若者がいる。そんなときには周りの人たちが、「スローガンを叫ぶな!」といさめるのだった。
大きな交差点ではパトカーと交通警察が数人待機してはいたが、武装した治安部隊の姿は、まだ見えなかった。(つづく)