「アフマディネジャードの支持者に対してだよ。少し騒ぎすぎたんだな」
「ムーサヴィー派が来てないから、衝突もないだろうと思ったのに……」
「来てるよ。多分この辺にいる人たちはみんなムーサヴィーの支持者だよ」
驚いて見渡してみると、確かに、広場の縁で声も上げず、黙ってアフマディネジャード大統領の支持者らの騒ぎを見守っている多くの人たちがいた。この青年もムーサヴィーの支持者で、徴兵の勤務時間を終えて、この広場に駆けつけたという。

「昨日はここじゃなくてヴァリアスル通りでひどい弾圧が行なわれたんだ。何人か死んだよ。僕はいなかったけど、その話を聞いて、今日は参加しようと思ってここに来たんだ」
しかし、この日のハフテティール広場は、アフマディネジャード大統領の支持者らによる勝利の雄叫びに包まれながら、何事もなく暮れていった。

私は乗り合いのミニバスに乗って家路についた。そのミニバスは、昨夜衝突が起ったヴァリアスル広場やファーティマ広場を通過したが、いずれも武装警官によるガードと、一部の通行止めによって、平穏が保たれていた。テヘラン大学学生寮のそばでも、厳重な警戒のもと、通行止めが行なわれていた。

さきほどの青年が言っていた言葉を思い返す。「治安部隊がこれ以上介入し、さらに弾圧を加えるようなら、今回の騒動もうやむやのまま治まってゆくだろう」と。
当局は改革派の要人100名以上を暴動を扇動したなどの罪で拘束した。改革派支持者たちの連絡網たる携帯のSMSも投票日前夜から不通のままで、組織だった動きは取りにくい。このままでは事態は収束に向かっていくだろう。

それでもその晩、自然発生的なデモ行進がテヘラン市内各地を練り歩いていた。そのうちの一つ、100人ほどの集団が、「独裁者はいらない」と声を上げながら、私の家の前を通過していった。私がカメラを向けると、当局に顔が知られては困るからと、手で遮られた。
あの自由な空気は、選挙期間中だけの政府のお目こぼしだったのだ。やはり祭りはもう終わったのだと、そのとき私は思った。

しかし、この夜に起った二つの重要な出来事が、まだメディアでは報じられていなかった。一つは、ムーサヴィー候補が最高指導者ハーメネイー師に対し、選挙結果について直接意義申し立てを行い、ハーメネイー師が選挙に関する法的権威である護憲評議会を通して厳正な調査を行なうと約束したこと。そしてもう一つは、テヘラン大学学生寮の襲撃だった。

★新着記事