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国家が情報を隠蔽するとき

3 日米間の「秘密覚書」
「この資料には、日本側に第1次裁判権のある公務外の米兵犯罪に関して、『日本側において諸般の事情を勘案し実質的に重要であると認める事件についてのみ右の第1次の裁判権を行使するのが適当である』という、法務省刑事局長から全国の地検の検事正などへの通達(1953年10月7日)が載っています」
「それは、私が米国の国立公文書館で調査し、入手した米政府解禁秘密文書の中の、日米地位協定に関する日米間の密約を裏付ける内容なのです」
そう語るのは、日米安保の密約問題に詳しい国際問題研究者、新原昭治(78)だ。
その米政府解禁秘密文書とは、ひとつが、1957年11月、当時のアイゼンハワー大統領に、大統領特別顧問フランク・ナッシュが提出した極秘報告書『米国の海外軍事基地・付録』である。
同報告書の日本に関する部分に、「秘密覚書で、日本側は、日本にとっていちじるしく重大な意味を持つものでない限り、第1次裁判権を放棄することに同意している」(新原訳)とある。
もうひとつが、その「秘密覚書」にあたるもので、「行政協定第17条を改正する1953年9月29日の議定書第3項に関連した、合同委員会裁判権分科委員会刑事部会日本側部会長の声明」(1953年10月28日付け)である。
声明の中で、当時の日本側部会長で、法務省刑事局の要職にあった津田實は次のように述べている。
「私は、政策の問題として、日本の当局は通常、合衆国軍隊の構成員、軍属、あるいは米軍法に服するそれらの家族に対し、日本にとっていちじるしく重要と考えられる事件以外については、第1次裁判権を行使するつもりがないと述べることができる。この点について、日本の当局は、どの事件が日本にとっていちじるしく重要であるかの決定に関し裁量の自由を保留することを指摘したいと思う」(新原訳)

行政協定とは日米行政協定のことで、1952年締結の日米安保条約が60年に改定され現行のものになるまでの間、在日米軍の法的地位を規定していた。その内容は一部修正のうえ、60年以降は日米地位協定として引き継がれた。
合同委員会とは日米合同委員会のことである。それは在日米軍基地の運用に関する公式の協議機関で、日米両政府の代表から成る。
この声明は日米合同委員会裁判権分科委員会刑事部会の非公開議事録というかたちで残され、秘密にされていた。
日米の秘密合意が成立するにあたっては、米兵犯罪の特別扱いを望む米国側からの強い要請があった。
新原が入手した米政府解禁秘密文書、「1953年9月17日、東京・米大使館、アリソン大使発、国務省宛て電報」に、その事実がアリソン大使自身の言葉で生々しく述べられている。

「昨日、岡崎〔外相〕とさまざまの問題をめぐって協議した際、行政協定刑事裁判権条項改定の交渉で得られた結果について満足の意を表明する機会を得た。
私は日本政府が裁判権放棄に同意したことに自分としても満足していると述べるとともに、この取り決めの実際の運用にあたっては、日本側がきわめて寛大で、かつ実際に裁判権を行使したいと考える事例がぎりぎり最小限になるようにとの希望を表明した」(新原訳)
当時の吉田茂内閣の岡崎勝男外相に対し、アリソン大使は言葉づかいは丁寧ながらも、日本側に釘を刺す言い方をしていた。
閲覧禁止にされた『実務資料』は、日米地位協定が米軍側に有利に運用され、日本側が第1次裁判権を不行使、すなわち事実上、放棄することで、本来裁くべきだった米兵犯罪を見逃してきた日米密約の存在を示している。
つづく(文中敬称略)
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