二〇〇七年の初夏、慈江道の山奥に住むお年寄りが、マスゲーム「アリラン」観覧の招待を受け、平壌(ピョンヤン)へやってきた。
その老人は「苦難の行軍」といわれた大混乱の時期にも「江界(カンゲ)精神」(注1)を発揮して、掘れと言われれば凍てつく大地にノミで穴を掘り、革命精神を発揮せよと言われれば、松の柱を立てて赤旗をはためかせた隠れた英雄であった。
また朝鮮戦争の功労者でもある彼は、数え切れないほどの勲章を胸に下げ、自分たちの世代が死守した英雄の都市、将軍様がおられる革命の首都への「入城」を、老年になってようやく果たしたのだった。
彼の平壌滞在予定は、一泊二日ととても短かった。そのため、真夜中に到着した宿泊先の松新(ソンシン)旅館を翌日の明け方にはもう後にした。
老人は、一緒に平壌入りした村の若者たちの後ろを、大汗をかきながらあたふたと付いていった。そうしてマスゲーム会場の綾羅(ルンラ)島メーデー・スタジアム(五・一競技場)に到着したが、まだ開門前だった。
そこで、「遠くには行かずにこの付近で待つように」という指示が出た。老人は内心大喜びした。さっきから気になっていた、大同江の対岸に見える、ありとあらゆる珍しい建物や立派なアパートを、じっくり見物できるチャンスだからだ。
少し離れたところに見える波型の屋根をしたレストランのガラス越しに、若くて綺麗なウエートレスたちが行ったり来たりする様子がチラチラと見える。老人はいつの間にかその建物の方へとそっと歩きだしていた。
扉を開けて中に入り、先ずは耳をつんざくような歌声に圧倒されてしまった。そのあまりの大音量に、耳が遠くなり目だけしばたたかせたままその場に立ち竦んでいると、今度は、ねずみでも捕って食べたみたいに唇を真っ赤に塗りたくったお嬢さんなのか、おばさんなのか分からない女がやってきて、腕をつかみ席へと案内するものだから、老人は思わずうっとりして頭がボーっとなった。どうやって席に着いたかもわからないまま、上下左右、四方八方の目に飛び込むもの全てが物珍しくて、お構いなしにキョロキョロとしていた。
メニューリストを手にした「真っ赤な唇」がその傍らにぽつんと立ち、老人が何か注文するのを待っていた。だが老人にはそんなこと知ったことではなかった。待ちくたびれた「真っ赤な唇」が、日本食にするのか洋食にするのかと語気を強めて尋ねた。「真っ赤な唇」の三度目の問いかけにやっと意味がわかった老人が、メニューに目を落とした。
すると、そこには確かに朝鮮語が書かれているのだが、何度みてもさっぱり訳がわからない言葉が並んでいた。それはともあれ、書かれてある値段があまりにも高すぎるではないか。ポケットにたった五〇〇ウォンしか持ち合わせていない老人の足がガクガクと震え出した。
〈こう見えてもワシだって、軍隊に居た頃は中隊長までした人間だ。除隊後は山林経営所の所長までしたじゃないか〉
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