「爪楊枝です。お食事をされて歯の間に挟まった食べカスをせせるものですよ」
「何をいう。ワシはまだ注文したものは何ひとつ食っとらんのに、爪楊枝を持ってくるとは何だ!」
機関銃の弾が炸裂する戦場を潜り抜けてきた元中隊長の怒鳴り声が、手のひらほどの小さな食堂中に響いた。

「真っ赤な唇」の顔色が変わった。だが、こういう客は何もこの老人に限ったことでもなかったようで、直ぐに表情を整えて呟くように言った。
「おじいさんはカラオケ二回と爪楊枝を一つ注文されたんですよ。だからその通り持って来たんじゃないですか」
周囲から注がれている、強い軽蔑の視線を感じた老人は、気まずそうな表情で努めて優しく話した。

「そうか、ワシはまたカラオケが食べ物だと思っていたよ。それにしても平壌では爪楊枝一本が一〇〇ウォンもするのか?」
「......」
「真っ赤な唇」は、眉間にシワを寄せて、殺伐とした空気を漂わせて立ち去った。その後ろ姿は、老人に向かってこう言っているようだった。
「そうよ! 平壌では爪楊枝一本が一〇〇ウォンよ。それがどうしたっていうのよ! 爪楊枝を持ってきてやってる私の仕事はタダだとでも思ってるワケ? この田舎ジジイ」

老人の脳裏にふと、一九六〇年代の頃に聞いた話が浮かんだ。
豊作の分配で受け取った金を袋に詰めて平壌へ行った隣村の老人が、西平壌百貨店に立ち寄った時のことだ。あれこれと見ながら鏡売場の前にきた時、ふと女房に買ってってやろうと思ってポケットに手を突っ込んだところ、中にあった袋が軽い。

え? どうしてだ? 一年間頑張って働いてもらった札束が、そっくり全部なくなってしまったのか!
あまりの衝撃に胸が潰れた。金を入れていた袋がぶら下がっていた胸のあたりをぐっと掴んだまま、道路に面した窓の前へと急いだ。
そして、おもむろにその袋を取り出しくまなく探していると、見覚えのない紙切れが一枚ひらりと落ちるではないか。その瞬間、もしや袋に入れてあった金が、何かの間違いでこの紙切れと入れ替わったのでは?という嫌な予感がして、慌ててその紙切れを開いた。老人の目に飛び込んできたのはなんともふざけた文句だった。

「おじいさん。来年も豊作の分配の札束を持って、また来てくださいな!」
その当時は、スリや強盗が隠れてこういうことをよくしていたが、今じゃそういう輩があの「真っ赤な唇」みたいに女の格好をして、ご丁寧に化粧までして白昼に堂々と詐欺をしているように、老人には思えた。

老人はにわかに世の中が嫌になった。老人は、「アリラン」も何も全部放り出して山奥へと、すぐにでも帰りたくなったとさ。
資料提供 リャン・ギソク
二〇〇七年八月
(整理 チェ・ジニ)

注1 朝鮮総連の機関紙『朝鮮新報』二〇〇八・八・二二号は、「江界精神」を次のように記している。「『苦難の行軍』を切り開く突破口としてクローズアップされたのが、慈江道江界市で誕生した『江界精神』だ。山が多く食糧問題など条件はよくないが、自力で中小規模水力発電所を建設し電力問題を解決するなど、難局打開へ向けた経済再建事業をリードした。一九九八年一月に同地の経済単位を視察した総書記はこれらの成果を高く評価。国内は経済再建、難局打開のモデルケースを慈江道に求め、慈江道に続こうと沸きあがった。」

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