銃殺された里党秘書や管理委員長が自宅で使っていた作男だけでも五、六人はいたという。背丈よりも高い塀で自宅を囲い、個人専用の果樹園まで持っていた彼らは、まさに里という王国の「小王」だった。
管理委員長や党秘書は、毎年一五〇〇縲恷O〇〇〇トンもの米を横領していたというが、そのために飢え死にした人がいったいどれ程になろうか(国家の食糧供給計画では、労働者一人当たりの必要量は年間約二五〇キロ)。
彼らの横領はこれに留まらなかった。経理担当者とグルになって、農場員三〇〇〇人以上もの労働手当を少なめに計算してピンはねし、その莫大な金も自分たちの懐に入れていたのだ。
さて、農場の幹部以上に酷くて無様なのは、文徳郡を毎年検閲に訪れる中央党と国家の非社グルパ(注2)の連中だ。この者たちは検閲に訪れると、自分たちの懐を賄賂でいっぱいにし、いい気分に酔っ払って帰って行くだけなのだ。
結局、非社グルパによる検閲など、農場幹部たちの不正腐敗を明らかにして糺すどころか、覆い隠すことにしか繋がらない。
秋になっても農場の脱穀場からは埃が舞い上がるだけで、搾るだけ搾り取られた無力で哀れな農民たちは天を仰ぎ、「この国でわれわれ農民がはたして人間と言えるだろうか。農胞(農民を蔑み呼ぶ言葉)ではないか!」と呟き、互いに涙を流すしかなかったという。
龍林里の農場管理委員長ら幹部の不正が暴かれたのは、皮肉なことに幹部の検閲に通う非社グルパの活躍のためでなく、彼らの職務怠慢と現地幹部との癒着のおかげだった。
その年三回目の非社グルパが中央党から検閲に送られて来たのだが、案の定、現地幹部の接待だけを受けて何にもせずに帰ろうとした。すると、いい加減な非社グルパの検閲に対して日頃から不満を募らせていた村民たちが抗議する騒ぎが起きたのだ。
その日の現場の状況は次のようなものだったという。
黄昏に染まる田圃を貫く大きな道に差し掛かった黒い乗用車が一台、どうしたことか急に停まった。一人の老婆が車の前に身を投げ出したのだ。
「プッ、プウ! プップウ!」
いくら激しくクラクションを鳴らしても、その老婆は微動だにしない。運転手が仕方なく車から降りて近づいてみると、粗末な身なりをしたその老婆は、両目をカッと見開きこう言った。
「私を轢き殺さない限り、ここは通れないよ」
そう言われて、車の運転手は目をパチクリさせた。怒鳴ってみたり、頼んでみたりしてもその老婆は梃子でも動かなかった。
「あたしの父親が地主だった時代でも、農民はこんなに酷く暮らした覚えはないよ。農場に引き返して再検閲しな!」
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