二〇〇八年一月、本誌記者リャン・ギソクは、新年の挨拶のため平壌市在住のある大学教授の自宅を訪ねた。以下は、恩師の一家との素朴な会話をまとめたものである。
教授は立派な歴史学者であるが、俗世の争いに巻き込まれたくなく政治や経済を論じることを好まない。しかし、家に居合わせた娘は若い世代らしく、金儲けが生きていくために最も重要事になっていることをよく認識し行動に移している。
首都平壌(ピョンヤン)のインテリ層の価値観が大きく変化していることがよくわかる。
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二〇〇八年一月二日、例年通り、私は尊敬している恩師宅へ年始の挨拶に伺った。
この先生の自宅は、西平壌の地下鉄「革新(ヒョクシン)」駅で下車したところにある。一九六〇年代に建てられた、温水式の床暖房ではなく練炭を使う旧式の五階建てのアパートだ。
先生には何人か息子がいて、同居しようという申し出が何度もあったのだが、「年寄りには『練炭をくべるアパート』の方が暮らしやすい」と断り続け、古びた狭いアパートで相変わらず奥さんと二人で暮らしているのだった。
これまで光復(クワンボク)通りに国家から住宅が割り当てられたこともあり、しばらくはそこで暮らしたようだが、大学に通うには不便なうえ、老先生には何かと具合がよくないということで、その住宅は長男に譲り、もといたアパートに戻って暮らしているのだという。
外は肌を刺すような厳しい寒さなのに、先生のお宅はオンドルが入り、部屋中に暖かい空気が漂っていた。「苦難の行軍」と言われる時代のずっと以前から、温水暖房が機能しなくなっていたため、平壌市内のアパートでこれほど暖かい家は珍しい。
書斎で本を読んでおられた先生にまずは新年のご挨拶をし、次に台所で料理を準備していた奥さんのところへ行くと、娘のヨンスンも来ていた。
彼女と私は年も近く数年間同じ職場で働いたことがあったため、お互いよく知った間柄であった。
「とっても大切なお客様がお見えになるって、母が朝からお正月のごちそうを用意しているのでどんな偉い人が来るのかと思ったら、なんだ、リャンさんだったのね」
誰に言うでもなくつぶやいた彼女の言葉に、私も奥さんも大笑いした。
また先生の部屋に伺って話をしていると、まもなく奥さんとヨンスンもやって来て、私たちの会話に加わった。
ヨンスンがこの場に同席してくれたのは、実に幸いだった。男同士だとどうしても硬くなりがちな雰囲気を、この家の一人娘であるヨンスンがすっかり解きほぐしてくれたからである。
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