取調べ
Q:二〇〇六年×月に朝鮮に送還された後、甑山教化所に送られるまでについてお話しください。
A:捕まって最初に入れられたのは茂山(ムサン)郡の保衛部(情報機関)です。
保衛部で一週間取調べを受け、中国で長く暮らしていたことが罪に当たるとされる書類を作成され、郡の保安署(警察署)に送られ裁判を受けました。
本来ならば裁判は一ヶ月で終わるものですが、その当時、茂山の保安署の拘留場(警察の拘置施設)で、名前はわかりませんが、熱病が流行っていたため(猩紅熱だと思われる)、隔離されて六ヶ月をその監獄で過ごし、教化二年の判決が出ました。
平安南道の价川(ケチョン)教化所に送られて、そこからまた甑山に移送されました。
Q:中国から送還された脱北者に対する取調べは保安署ではなく、保衛部が担当するのですか?
A:はい、保衛部で行います。
正確なことは知りませんが、脱北者に対する取調べも、韓国行きを企図した者と、私のような一般逃亡者とでははっきり分かれていました。まず、保衛部で審問を七日程度して、何もなければ保安署に引き渡されます。
韓国に行こうとしたような者の場合はずっと保衛部が扱います。この人たちに対しては裁判も保衛部でやって、拘留場(拘置施設)も保衛部にあるのに入れられます。
Q:送還されて取調べを受けた時、一緒にいた人数は?
A:九人。その全員が脱北者でした。
Q:韓国行きを企図した人は?
A:いませんでした。男性が五人いましたが、中国に行ったとたんに捕まったそうです。
Q:具体的にどのようなことを取り調べられましたか?
A:保衛部員の取調べは、中国で何をしていたか、韓国人に会ったことがあるのか、キリスト教会に通っていなかったか、一ヶ所でずっと暮らしていたのか、それともあちこちで生活していたのか。その場合は何をしていたのか......。
一番訊かれるのは、韓国人と接触したかどうかです。それから韓国に行こうとしなかったか。
私みたいな脱北者が、中国で同じ場所で住んでいたと言ってもなかなか信じてくれないんです。
保衛部員は中国の延辺の事情もよく知っていて細かい質問をしてきます。
Q:中国で子供を生んで暮らしていたという取調べ調書は、中国から朝鮮に送られたものなのでしょうか?
A:韓国行きを企図したのでない限り、中国から朝鮮に調書は送られないといいます。韓国行きの企図の場合は資料が全部送られます。
(つづく)
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