Q:予審が終わったら裁判で判事が判決を下すのですか?
A:はい。判決は○○郡の裁判所で行われました。裁判所と言っても大きさはこの部屋(一〇畳ほど)ぐらい大きさです。傍聴人もいないし。裁判長、検事、裁判書記、弁護士なんかが七人いました。

Q:裁判には弁護士がいるんですね。
A:います。予審のときではなく最後の裁判の時。

Q:検事も来ましたか?
A:はい、いました。そして裁判所の所長が来て判決を下します。

Q:裁判官は木槌を持ってましたか? 裁判官の服、帽子を身に付けてましたか?
A:木槌なんかないし、私たちみたいに一般の私服を着てました。傍聴人もいない、担当した予審員もいない。

Q:裁判で弁護士はどのようなことを言っていましたか?
A:もうはっきり覚えていませんが、何年とか刑期は下さずに、労働処罰を与えた方がいいと、裁判長に言っていたと思います(有期の教化刑ではなく、労働鍛練隊での処罰で済ませるよう、形式的にでも寛大な処置を求めたものと思われる)。

Q:裁判は何分間ぐらい行われましたか?
A:三〇分もかかりませんでした。「渡江」の罪は刑法二三三条(この条項については、近日掲載予定のリャン・ギソクの解説を参照のこと)なんですね。二三三条により労働教化刑二年という判決でした。送還されて朝鮮に足を踏み入れた日から教化刑の期間として算入されます。勾留場での六ヶ月を引かれて、さらに労働日数の刑期算入があって、結局、甑山には一年四ヶ月いることになりました。

Q:裁判では上訴する権利があるということは聞きましたか?
A:そんな話はありましたが、上訴しようとは思いませんでした。私のような者が上訴したって意味がないと思ったので。罪を認めたというより諦めて、その権利を放棄したということです。

Q:裁判の内容をもう少し詳しく教えてください。
A:朝鮮でも生活できるのになぜ逃亡をしたのかなどの質問を受け、そして国の法律の××条によって判決を下すと。国を裏切って中国に逃げ、子供まで産んで生活をしていましたから、それに罪がつくんです。私みたいな「渡江」罪は最高三年です。私の場合は教化刑二年が下されましたが、同じ「渡江」の罪で三年の刑を下された人もいました。
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