一九九〇年代後半の社会混乱と大飢饉の発生によって、北朝鮮から大量の難民が中国に流出するという事態が発生した。
一九九八年から二〇〇二年頃が流出のピークだったが、当時、この事態について国際社会が格別に注目することはなかった。
北朝鮮を脱出する人々が、少人数で夜陰に紛れて国境の川を渡り、中国に逃れた後も摘発を怖れて「人民の海」に潜って息を潜めて暮らしていたため、その姿が非常に見えにくかったからである。
凄まじい勢いで増えたこの「匿されし不可視の難民」は、二〇〇二年頃のピーク時には一〇万人を超えていたと推測されている。
大量の難民流入に対し、中国当局は保護するどころか一貫して逮捕・強制送還で臨んできた。「難民ではなく不法入国者」として扱ってきたのである。
脱北難民の大部分は、生き延びるために、あるいは自由を求めて、仕方なく祖国を離れた罪なき人々だ。
この人たちが、中国当局に逮捕され、北朝鮮に強制送還されると、いったいどのような取扱いを受けるのか。
北朝鮮に送還されたのち迫害を受けるのであれば、国際条約上の難民として庇護されなければならないし、中国は北朝鮮への送還をやめなければならない。
送還された脱北難民に対し、過酷な処罰が科されているという報告は多いが、どのような法的、制度的根拠に基づくものなのかは、そして処罰の具体的な中身については、ベールに包まれたままだった。
リムジンガン編集部では、脱北難民が多数収容されている平安南道の甑山(ジョンサン)教化所に、裁判を経て収監された女性三人を取材する機会を得た。
彼女たちの証言を基に、脱北難民に対する過酷な処罰の実態を報告する。
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