在日米軍基地の厚木海軍飛行場には、戦後、日本を占領した連合国軍最高司令官マッカーサー元帥の銅像がある。
14 米軍の基地使用を保障する地位協定
『実務資料』は全491ページ中、冒頭から76ページまでが解説編で、残りは関係条約・法律・通達など資料編(日本文と英文)である。
解説編は6章から成り、第1章の総論で日米地位協定第17条(米軍人・軍属・それらの家族の犯罪に対する刑事裁判管轄権に関する規定)の概要を述べた後、続く各章で裁判権、捜査、事件の処理、公判、裁判の効力及び刑の執行について詳しく説明している。
『実務資料』で何が秘密にされているのか具体的にふれる前に、この第17条ができた経緯を振り返っておきたい。
まず、日米地位協定は在日米軍の権利や義務など法的地位を定めたものだ。全部で28条あり、施設・区域(基地や演習場など)の使用権、米軍艦・米軍機・米軍車両の出入国や国内移動に伴う特権、日本の公共役務・公共事業の利用優先権、米軍人・軍属・家族の出入国の特権、関税や課税などの免除、刑事裁判管轄権、民事裁判管轄権などをめぐる規定が取り決められている。
1960年に締結された現行の日米安保条約の付属協定として批准承認された。その前身は、1951年締結・52年発効の旧日米安保条約に伴う日米行政協定である。
1945(昭和20)年、アジア・太平洋戦争に敗れた日本は、米国の占領下(形式的には連合国の)におかれた。日本全土に約40万人の米軍が進駐した。日本軍の師団司令部、軍港、飛行場、演習場など軍事施設を米軍は接収し、在日米軍基地を設けた。
日本が主権を回復したのは、対日講和条約(サンフランシスコ講和条約)を通じてである。1951年9月8日、米国サンフランシスコで、日本と米国など連合国48ヵ国が署名し、翌年4月28日に発効した。
しかし、南西諸島と小笠原諸島は米国の施政権下におかれた。米軍基地が集中し、米国の極東軍事戦略の要とされた沖縄を切り離す主権回復だった。
対日講和条約と同時に結ばれた日米安保条約と、それに基づく日米行政協定(1952年2月28日締結)によって、米軍は占領時代に引き続き、基地使用を継続する権限を保障された。
当初の日米行政協定第17条では、刑事裁判管轄権について次のように規定されていた。
「北大西洋条約協定が合衆国について効力を生ずるまでの間、合衆国の軍事裁判所及び当局は、合衆国軍隊の構成員及び軍属並びにそれらの家族(日本の国籍のみを有するそれらの家族を除く)が日本国内で犯すすべての罪について、専属的裁判権を日本国内で行使する権利を有する」
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